マンハッタン・続々

ある寒い、雪がざんざか降っている札幌の、いきつけていたバーでマンハッタンを飲みながら、その件の母の話をしていたときだ。
隣に座った恰幅のいい中年男性が、いたくこの話を気に入ってくれた。そんなお母さんと、お母さんに付き合って飲んでいる私をほめてくれるのだ。いや、ほめるっていったって、こちとらただの酒飲み親子。てやんでぇべらぼうめといいたいところでもあったのだけど、ぐっと飲み込んでとりあえず母の名誉のために礼を言った。
しかし、その男性はそれでは気がすまなかったらしい。この日を最後に札幌を発ち、田舎に帰省すると私が言うと、男性はとにかく持っていたバッグの中に入っているいろいろなものを、私に持たせようとする。母への土産だと。
羊羹、ミカン、紫檀の箸、小熊の一刀彫の置物や、読みかけの時代小説、などなど。最後には店のコースターまで。
時代小説に至ってはもはや何のためなのかもよくわからないし、丁重にお断りし、羊羹をひとつ(小さなパッケージのだったので)と名刺をいただくだけにした。
そして男性は朗らかに笑いながら、店を後にした。
店のバーテンダー氏に聞くと、初めてのお客さんだといい、なんだか勢いはすごくよい人だったねぇ、などと笑いあった。名刺をひっくり返してみたら、ちょっと名の知れた製菓会社の営業部長の肩書きだった。彼がここで何をしており、まったく関係のない羊羹を人に押し付け、そしてどこへ去っていったのかはしらない。
次の日、田舎の実家に到着するとすぐ、母に羊羹を渡した。ことの顛末を母に話したが、なんだかわかったようなわからないような、複雑な顔をしていた。

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マンハッタン・続

どこのバーに行っても、この話をすると関心してもらえる。いや、ある意味では身内の暴露話で、恥ずかしくもあるのだが。
母が定年退職になった年、東京の本社が定年退職者を集めて表彰したりなんかするとかいう豪勢なことをするとかで、わざわざ東京まで出てきたときのことだ。
聞いてるこちらがこっ恥ずかしくなるような東京観光コースを巡ったり、恵比寿やら赤坂やらで宴会をした後、最終日に自由時間があるから、宿泊しているホテルに来て一杯飲もうかという話になったのだ。
ホテルもホテル、お台場のとてもじゃないが僕なんかは寄り付くこともそうはないだろうと思われるようなこじゃれたホテルの最上階か何かにある、ラウンジバーだ。
適当に何か頼んでくれといわれて、母のウイスキー好きもあるからと、マンハッタンを頼んでやった。うまいねぇ、などといいながら、母は饒舌になり、そのこっ恥ずかしい観光コースの話とかし始めた。
そして、わずか1時間半の間に、母はマンハッタンを5杯お代りし、あんたも元気でやりなよ、と言い残して部屋に戻っていった。
60歳を迎えた年に、マンハッタンを5杯飲んでケロリとしている母を持って、幸せなのか不幸せなのか、ちょっと考え込みながら私は帰った。

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マンハッタン

「いつだってねぇ、恋は切ないもんなんですよー。」
宮島君はそういってカウンターに突っ伏した。
バーで寝るのはもってのほかだと思っているが、まあ仕方のないときもある。バーテンダーも目配せで、放って置いてくれといっている。
逆側の端では恋人達が、肩を寄せ合って囁きあっている。女の方は時折笑いをこらえるように口元に手をやる。グラスがかいた汗は、すっかりコースターに吸い込まれていた。
バーテンダーはオーダーのないところを見計らって、たまっていた洗物を片付けている。
私はぼんやりとつぶやく。
「切ない、ねぇ。」
視線を感じてバーテンダーを見ると、洗物の手を止め、訳知り顔に頷いていた。
「いいから、仕事してなさい。」
私はそう突っ込んでから、自分のグラスに手を伸ばした。
切ない、なんて、いつものことじゃないか。
マンハッタンが苦く感じた。

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Rain Drop

[ Rain Drop ]
Rainという名のバーは、人知れずやっている。
街の片隅にあるそのバーのカウンターの中には、背が高くスリムでショートカットの女が一人。薄暗い店の中にはカウンターとスツールがいくつか。一人で切り盛りするのは無理ではないだろうが、少しだけ不釣合いな気がしないでもない。
ただ、その女は、つまりバーテンダーは、まるで店の風景に溶け込むように立っている。それだけは確かなことだ。凛として。

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美味い酒の定義

この酒はいい酒だ、なんて言われても、素直にそうですかと言えなくなってきた。
舌が馬鹿みたいになってきたのか、無駄に贅沢になってきたのかもしれない。
ドン・ペリニヨンだろうが、カミュだろうが、カロン・セギュールだろうが、スプリングバンクだろうが。
あるいは、どんなエリクシールもオードヴィも、意味なんてない。
値段が高い酒は「高級酒」でしかなくて、安い酒は「一般酒」でしかない。
真実、美味い酒というのは、隣に愛しているものが居る時に飲んでいる酒のことなのだ。
ふと、そんなことを思う。
あるいはただ、寂しがり屋なだけかもしれない。

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月明かりの下。

[ ジョージア・ムーン ]
バーボンというのは、アメリカはケンタッキー州(実は一部はルイジアナ州)で作られた、主原料にコーンを51%以上80%未満(その他はライ麦、大麦)使って醸造された原酒を、連続蒸留器でアルコール度数80度以内で蒸留し、これを内側を焦がしたホワイトオークの新樽で2年以上貯蔵したものを言う。
この規定のうちのどれが欠けても、それはもうバーボンではなく、ストレート・ウイスキーとしか呼ばれないものになる。
コーンの割合が80%を超えるとコーン・ウイスキーと呼ばれるが、コーン・ウイスキーにはそれ以外の規定はない。
だからといって、というか、だからって何もというか、内側を焦がさない新樽に30日入れただけ(それは貯蔵とはいわないだろう)のコーン・ウイスキーがある。
それがジョージア・ムーンだ。こちらのほうが説明としてはいいかも。
そんな乱暴なウイスキーがあるもんなんだなぁ、という感慨は別にしても、その名前を付けたバーがある。
JR中野駅から程近い、路地をちょっと入ったところに、何気なくトンと置かれた看板だけがこの店がBAR GEORGIA MOONだと告げている。
地下へと通じる階段のための扉をあけると、階下・・・というか地下からざわめく人々の声と、タバコのにおいが湧き上がってくる。
階段を下りてフロアに立つと、ふと階段を振り返りたくなる。階段に座っているほうが広々としているような気がする。それほどにこの店は天井が低い。
同じくらいの面積の店がないわけじゃない。でもまあ、現代的なバーというものの基準(なんてものがあるとは思えない。平均、とか経験値、という意味で。)からすると、少し狭い。
天井が低くて少し背の高そうなバーテンダーは、頭が天井に着いているんじゃなかろうか、とさえ思える。実際にはその隙間は、20cmくらいはありそうだ。・・・なんだかそれがまるで「less than 30 days old」と書いてあるGEORGIA MOONのラベルのような気がする。30日と20cm。
バックバーは日曜大工で作ったような「棚」で、なんだか頼りなく、ようやくボトルたちを抱えているかのようだ。そのかわりといっちゃなんだけどといわんばかりに、カウンターの上とスツールの後ろ、つまり客である我々の後ろに棚が設けられていて、狭い店内をさらに狭く使っている。ある意味では我々の後ろにバックバーがあるかのようだ。言葉としては正しいかもしれないが。
多少若めで、バックバーの棚と同じように少し頼りない感じのバーテンダーだが、カクテルをつくる手さばきはしっかりしており、狭い店内をうまくやりくりして(笑)いる。フルーツは良いものを揃えているので、フレッシュジュースのカクテルはお勧め。ボトルはとにかくどこになにがあるか判断するのは難しく、手近にある瓶を眺めてはそれをもらったり、あるいはそれを元に思い出した酒があるか聞いてみるといい。
タバコを吸う客がいると(というか大概いる)狭い店内はどんどんタバコの煙で満たされてしまうので、タバコが苦手な人にはお勧めしない(というか、日本にあるバーで禁煙のところなんてそうそうはない)が、穴倉に篭って酒を飲むかのような雰囲気は他では味わえそうにない。
禁酒法厳しき折のスピークイージー(それも労働者階級が疲れを癒すためにこそこそと集まったような)とは、こんな雰囲気だったかもしれない。

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