バーへ行こう。(3)

まだオープンして2ヶ月の店で、紹介するのも本当はどうかと思うのだけど。
ススキノにその店はオープンした。
それまでは老舗と呼んで差し支えのないバーテンダー松川泰治氏の店「Barまつかわ」だったのだが、いろいろな都合が重なって、その店舗を手放すことになった。手放すにあたって、松川氏は自分の後輩にそれを託すことにした。
かつて自分が修行時代を過ごした店、バー山﨑の、山﨑達郎氏にいいバーテンダーはいないか、と相談した。
山﨑氏は、たくさんのバーテンダーを育ててきた。何人かの弟子たちのことを思い出していた。独立したものもいれば、転出して他のバーで勤めているものもいる。だが心の中では、一人の弟子のことでいっぱいになりつつあった。
バー山﨑では、10年も勤めチーフバーテンダーとして店のほとんどを切り盛りできるようになった弟子は、薦めて独立させてきた。
そうして独立した弟子たちはみな、全国に知られるような有名なバーテンダーとして活躍した。松川氏もそうだし、中田耀子女史もそう、中河宏昭氏もそうだ。
しかし、今回はどうも惜しい。山﨑氏はそう感じていた。10年間、一から教え込んできた純粋な弟子であり、今となっては片腕にも等しい存在だ。だがこれほどの良い話もざらにはない。これほどの良い話を他にふるのも何やら勿体ない。
山崎氏はそういった贅沢な悩みの末に、チーフを呼び、話を打ち明けた。
チーフ根本亜衣は、高校卒業後周囲の反対を押し切ってバーテンダーの道を歩き出した。山﨑氏は当時まだ高校も卒業していない根本女史とその母親の相談を受けた。面倒を見てくれないかといろいろな店に打診したが、なしのつぶてだった。それ以外に安心して任せられる店もなし、逆にここでほおりだしてしまって、場末の店で如何わしいものに染まるのも忍びないと、自ら弟子に抱えることにしたのだった。
それから10年間根本女史は勤め上げ、43年になろうとしているバー山﨑の歴史の中で初めての女性チーフになった。
山崎氏はその半生記の中で「やめられては惜しい。結婚しても店を続けられるような相手を見つけてもらいたいものだ。」と語っていたほどだ。
初めは松川氏の後釜など勤まる自信がないと固辞していた根本女史だったが、せっかくの機会と山崎氏の強い薦めに従って、そうしてようやく自分の店を持つ決心に至った。
それからはとんとん拍子に話は進んだ。
オープンにはたくさんの客が詰め掛けた。
それから2ヶ月。
祝い事が好きで、常連客の誕生日には花火のついたケーキを出して、煙感知器にひっかかって2度管理人に怒られた。
オープンして1ヶ月でスタッフが交通事故にあって入院してしまい、人手が足りずに実弟をバイトに使っていた。
松川氏から委譲されたボトルの半数はまだ飲んでみていないので、「お客様にお勧めできません」と苦笑した。
「忙しくて休む暇もないんです。またこれで婚期が遅れますよ」という彼女の顔は、それでも満足しているように笑っていた。
札幌市中央区南4条西5丁目
つむぎビルB1F 「バーねもと」

“バーへ行こう。(3)”の続きを読む