9歳

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小山のような安定感、なんかむっつりしている顔つきですが、ルネです。
9歳になりました。はやいもんです。もうシニアです。ご飯考えないとね。

S200終了のお知らせ

皆さんには関係ないけどw

2010年の7月頃に購入した、Acer S200 / neoTouch F1というWindowsMobile携帯端末を使っていたのですが、3月の終わり頃から数ミリくらいタッチパネルの感知点がずれてるかな?と思っていたら、それからアレヨアレヨと数ミリずつずれたかと思ったら、最期には反応がまったくおかしくなってしまいました。あとでメモ帳のお絵かき機能でみてみたら、ほとんどまともにプロット出来ない状態になっていて、アイコンやボタンの類を触っても反応できなかったりで使い物にならなくなりました。

どうやらタッチパネルに問題が多いようで、たびたびeBayなどでタッチパネルの交換部品が流れていたのだけど、当初の発売から1年半にもなるとそれもかなり減って、最近ではまったくみかけなくなったので交換も難しいので、終了のお知らせとあいなりました。

世はもはやiPhoneとAndroid端末が百花繚乱。WindowsMobileはMSからも捨てられて、そんなものがあったことさえ忘れられ始めてさえいて、得も言われぬ空しさが漂ってて。しょうがないので、元使っていたHTC TouchDiamond(Softbank X04HT)にSIMを戻して使っていますが、隔世の感。さすがに4年近く前の端末はきびしい。

もともと、S200が健在でも夏頃には出ると言われていたiPhone 4s/5に乗り換えようと思っていたのだけど、それも9月以降にずれ込むという話だし。Android端末を1つ買う方向で検討中ですが、それもどうしたものかいろいろ苦悩中。

これからのこと

地震があって、原発が困ったことになって、収束する状況にもまだなれないということになっていて、原発なくせとか言ってる人たちのことが理解できない私です。

原発なくせ、という人はなくすまでにかかる時間のことをわかっているんでしょうか。なくすために必要な費用と、それに代わるエネルギー供給源にかかる費用、あるいはそういうエネルギーを必要としない社会への転換にかかる費用は?何某大臣がいった「100年に1度の災害のために対策する必要があるんですか?」みたいな言葉と、似てるなぁと思います。実際に100年に1度かという地震が起きて、今こうなってるわけです。M8.0クラスの余震がまだあるかもなどと、わーわー言ってるところですが、落ち着いて考えてみれば、あと100年もすれば、また今回と同レベルの地震がくるかもしれないわけです。今から100年くらい前にあったという地震では、まだ地域に住んでいた住民が正確にどのくらいいたのかわからないし、前後の記録も正確とはいえないでしょうから、どのくらい被害があったのかわからなくて、今回はこれだけ発達した社会でも万単位の人間が行方不明になったわけです。この100年でどれほど進化したんですかね、地震・津波対策は、といいたいわけです。

次の100年後に向けてやるべきことは、原発をなくすだけでいいんですか?なくしても地震は起きるし、津波は起きて、建物は流されなくなるかもしれないけど、人はやっぱり流されたりするんじゃないでしょうか。建築の進化は100年の間に確かにあったけど、それでも戸建ての住宅等は耐えられなかったので、これからの進化はもっと必要とは思いますが。地震に耐えられて、津波にも耐えられて、ほとんど被害らしい被害はない、せいぜい外海に面したあたりでつないであったボートが1艘流されちゃった程度の被害に食い止める方法論、それこそが100年後に必要なことなんじゃないですかね。

そんとき自分は生きてないだろうから関係ない、っていうのは官僚の「ただちに健康に被害があるとは考えられない(少なくとも自分の在職中は)」というのと同じです。ほとんどすべてのものが流されて、たぶんがれきを撤去したら海までただただ更地が残るだろう被災地だけに対策すればいい問題でもないでしょう。起こる可能性はほとんど日本全国どこであってもあるし、その災厄から東京であっても逃れられないはずです。いまのほにょほにょ揺れる程度の耐震・免震設計とかで本当に大丈夫なのか、再検討の上、「本当に大丈夫」と言えるくらいまで安全な街をつくらなくちゃいけないんじゃないですか。

被災地の人たちが、あーよかった人心地つけられるわ、といえるまで復興したら、そこから次にやらなきゃいけないことを、スイマセン、今考えていました。