思い出話、その前。

十数年前のことだ。入り浸っていたバーのバーテンダーは僕と同い年で面白いヤツだったが、少々変わっているところがあって、特にこれといってそういう場でもないのに緊張したり、緊張して脈絡のないことを言い出すことがあるのだった。
その頃入れ揚げていた会社の女の子を連れて言ったとき、そのバーテンダーははたで見ててもわかるほど緊張した。僕がいつも行っているバーだというので、彼女が行ってみたいという話から連れてきたのだが、それ以前からバーテンダーには、その子がとにかく可愛くて、立ち居振る舞いが上品で、やさしくてよく気がつき、声なんて小鳥のようだ、とか多少の誇張を交えながら語っていたせいかもしれない。
それにしても、バーテンダーはまるで初恋の人に再会でもしたかのように緊張している。いや、緊張しすぎだ。なんかこれじゃ逆だろう、と心の中でつぶやいた。ホールのウェイトレスをしている”ヒロちゃん”は、面白そうにニヤニヤ笑いながらキッチンの小窓から顔を出しているコックの”ヤミー”と小声で話している。
店内には他に客もいない。
奇しくもすべての状況は、「お見合いの席」と化していた。
とはいえ、いまいち状況が理解できない彼女をこのままバーテンダーの緊張と周囲の好奇の目にさらしているわけにもいかないので、酒を頼むことにした。
彼女はトム・コリンズを、僕はジン・リッキーを。
キッチンを暇にさせておくと、ニヤニヤ笑いが止まりそうもなかったので、無駄に手間のかかりそうなピザ(”ヤミー”の手製だった)を頼む。
バーテンダーはジンを逆にして作ろうとした。トム・コリンズはオールド・トム・ジンであり(当時は輸入がままならず、なかなか置いてある店はなかったが、ここはマスターの趣味でロンドンまで買出しに行っていた)、僕がジンカクテルを頼むときは(その頃は)すべてタンカレーで作ってもらっていたのに、彼はタンカレーでトム・コリンズを作ろうとし、オールド・トム・ジンをリッキーにしようとしたのだ。
僕が注意すると、彼はさらに慌ててグラスを取り落とす勢いでシンクに下げ、イチからすべて作り直した。
バースプーンをグラスから引き抜く頃には、彼はようやく落ち着いたみたいだった(何度も言うようだが、やっぱり逆だ)。
ようやく状況が平静に戻りつつあった。彼女はピザをおいしいといって食べ、二杯目のモスコミュールに使ったウィルキンソンのジンジャエールに驚き、店の片隅においてあるこの店のシンボルとも言えるレコードが入っていてアームでそれが出し入れされるタイプの古いジュークボックスで、シュープリームスの「You Can’t Hurry Love」をリクエストした。
店はずっと貸切状態で、遠慮なしに彼女は店内を見回し、こういう店にはほとんど来た事がないから、と笑った。店のあちこちにはマスターの趣味でアンティークの調度品や小物が飾られていた。
シュープリームスが終わると、バーテンダーは音量を消していた有線放送を戻した。おとなしめの洋楽がかかっているチャンネルだ。
10ccの「I’m not in love」がかかった。
あ、この歌・・・きれいな歌よね。と彼女が言った。
そうだね、と頷く。
そしてバーテンダーが言った。
「この10ccってバンドの名前、実は男性の精液の量の平均値の意味なんですよね。ガハハッ。」
キッチンの小窓のところで、”ヒロちゃん”が吹き出した。”ヤミー”は、キッチンに引っ込んでしまった。
僕は二度とここに女の子を連れてくるのは止めよう、と思ったのだった。

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濁酒に思う。

[ 日本のふるさと再生特区 ]
すこしはblogっぽく(笑)。
政府の「構造改革特区」政策に伴い、岩手県遠野市、岩手県二戸郡安代町、岩手県二戸郡浄法寺町、や長野県飯田市などがいわゆる「どぶろく特区」に認定された。参照:岩手県遠野市の遠野市政策企画室が掲示している「構造改革特別区域の認定について」と題される、認定の概要の報告書(PDF)。
合わせて幾つかの規制緩和措置をまとめているが、そのうちのひとつが「特定農業者による濁酒の製造事業」が、どぶろくの製造に関する規制緩和措置にあたるわけだ。
規制緩和措置によって、こういった「どぶろく特区」が作られ、また酒販免許の認定制度緩和などが行われているのを見るにつけ、旧来(というより古来)からの酒税法の問題については、やはり憤懣を感じずにいられない。が、まあ、それはまた別の話で。
どぶろく特区の実現にかけては、岩手県知事が財務省が難色をしめしたことについて批判するなど、紆余曲折があったものの、無事10月末頃に認定された。
知事と財務省のやり取りに関して言うなら、どちらも考え違いというか、くだらないことで可否を決しようとしていて失笑を禁じえない。
製造コストは濁酒であろうと掛かる。当然の事実であり、コストの掛からない商品など売り物と呼べない(ex.空気)。そして、製造コスト低減などという観点で考えるなら、そもそもこの構造改革特区政策の別名である「日本のふるさと再生特区」という意味をも否定することになりかねない。もちろん、コストが低減されればされるほど、再生にとって良い結果を生み出すことはあるだろうが、それだけを目標とするなら、これらの規制緩和を企業に対して行うべきで、市や町などといった行政にわたすべき類のものではなくなるだろう。今、市や町、農業者や地域企業がなりふり構わず「ふるさと」を再生し活性化しようとしているときに、さもわかったような口でコストだとか不細工なことを言い出している官僚は、やはりというかため息以上のものも出ない。
かつてどぶろくを作るのは、農家にとっては当たり前のことだったはずだ。戦争が度重なった頃、日本政府が税金収入を上げるために課した酒税法という法律によって、今なお我々は驚くべきほどの税金が課せられた飲み物を飲んでいる。農家は米を持っていてもどぶろくを造ることは許されず、何人たりともそれを試みても許されないのだ。今、日本は戦争状態でもないのに。
どぶろくの製法は極めて簡単なものだ。米を蒸かして水につけ、麹を混ぜて暖かい場所に置いて醗酵させる。醗酵が止まったところで上澄みをすくって飲む。これが基本だ。乳酸があるなら入れるし、笊や布巾で濾してから飲むこともある。これだけのことだが、今はコストもかかる。農家は米はあるかもしれないが、麹や乳酸、道具の類でもないものは買わねばならない。コストはやはり掛かる。主原料となる米でさえ、買ってくるのではないが作るのには土地も肥料も人手も時間も必要だ。トータルで考えれば大手が作るアルコール添加酒の安さにかなうわけがなく、高価な酒造好適米をふんだんにつかってそれを四割まで削り、純粋培養された酵母と乳酸を使って1年かけて作る地酒蔵の純米大吟醸酒の質にもかなうわけがないのだ。
税務に関わるえらい人は、酒税法がなくなれば酒造業者(大手も小さな地酒蔵も)が困る、つぶれる蔵が出てくる、という(つまりは酒税収入によって国の大事が行われているわけではない、と暗に認めているわけだ)。そんな農家の手隙に作るどぶろくに負ける酒しか造れないような蔵は、つぶれて当然だし、そんなものを守るための法律が必要だと、誰が考えているのかよくよくつきつめていってほしい。
愚痴みたいになってしまったけど、まあなにはともあれ、これから先、規制緩和によって酒を造る楽しみと味わう楽しみが万人の手に戻ってくることを祈りつつ。

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昨日わしこんなもん飲んだ

って、写真もないし、もはやオマージュではなくなっているにおいも少し。
昨日は連れと新年会。のようなもの。
飲み食いしまくっただけなような気がしないでもない。
初詣の真似事のようなことをし、蕎麦屋で蕎麦をたぐり、ちょっとふらふらとしたりしてから、いつものアフリカンバーへ。なんと!正月4日から貸切でパーティをするという奇特な方々のため、入れず(そういえば、年末忘年会と称して飲みに行った有楽町某バーでは、夜10時からパーティで貸切になるので出て行ってくれと言われたが、30日に。ウチ帰って掃除とかしろよ、と思わず言いそうになりましたな。自分のことは置いといて。)、ショックを隠し切れないものの、マスターと新年の男と男の固い握手(これを見て連れは又しても僕のホモ疑惑を深めた模様)を交わす。
しかしそこはそれ、また別の店に行く口実ができたわけで、そそくさと某Hバーに入る。案の定バーテンダーさんがぼよーんとひまそうな顔をしている。ギネスの生を頼んで、トマトクリームリゾットとアボカドサラダをもらう。むまい。
はじめて某T易断の書を見る。バーテンダーさんが今年はどう?とかいって渡してきたから。しばらくそれで盛り上がるが、今年は転職しないほうがいいらしいので、素直に従うことにする。あー、でもひどい仕事押し付けられそうになったらもう耐えられそうにないんだけどなー。
アメリカンレモネードを頼むつもりが、間違ってカリフォルニアレモネードを頼んでしまう。正月ボケのせいにしながらも、おいしくいただく。人生とはかくありたい。
それとギムレットなどを飲んで、河岸替え。
続いては連れのお気に入りのバー。こちらはちらほらお客さんが入っていて、いい商売をしているみたいだ。
ジャックローズ、チャイナブルーといって、グラッパ、フィーヌで〆。
連れと過去話で激しく盛り上がり、最終電車にギリギリ。今日は微細な二日酔いを抱えつつ、仕事始め。でも今は社内無職。あなた色に染まりたい。それは無色。
ええっと、まとまりがないですが、これも二日酔いの影響、ということにしておいて。

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大晦日イヴ

ということで、大晦日イヴ(って、だからなんだそれ)は連れと羽目をはずして飲みに行こうという意味不明な企画を実行。
いや、本当は東京ミレナリオを見に行こうという、東京に暮らしながら人ごみが嫌いな僕にとってあり得ない企画が前提だったのだけど、夕ご飯を食べて、とりあえず何か飲まないとねぇ、とバーに入ったら、店員に「今ミレナリオの帰りですか?」などと聞かれ「一杯飲んだら、これから行こうかと」と生ぬるい笑顔で答えたら、「え?もう終わる時間ですよね!?」と切り返される始末。
仕方ないので(?)、そのまま有楽町~銀座界隈のネオンをみながら銀座ミレナリオ(当社比)。あんがいフラフラになりながら、この店はいついっても腰が引けてるとか、あのバーテンダーはシェイカー振りすぎだろう明らかに、とか銀座の街角をでかい声でダメ出ししながらハシゴしまくってました。
おかげで電車が途中までで、歩いて帰る羽目に。羽目をはずしたつもりが、はずれきっておりました。
さて、除夜の鐘企画のネタを書かないとな。

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The Last Good Kiss.

酒の出てくる小説は数多ある。
数多ある中でも、僕の心の中に小さいながらもきちんと足跡を残したまま、それが消えない小説のうちのひとつが、ジェイムズ・クラムリーの「さらば甘きくちづけ(The Last Good Kiss)」だ。
冒頭、主人公スルーが、依頼人である女からその夫である作家のトラハーンをカリフォルニア州ソノマにある、ぼろくて薄汚れているようなバーで、見つける。
その傍らで灰皿に注いでもらったビールを舐める酔っ払ったファイアボール・ロバーツ。アル中のブルドッグ。
そして流されるようにスルーは、バーの女主人からの依頼で女主人の娘を探しにでる。酔っ払いの作家トラハーンと、酔っ払いの犬ファイアボール・ロバーツと、ワイルドターキー1パイント瓶と一緒に。
レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ(The Long Good-bye)」へのオマージュと著者自身が名言するとおり、その端々に現れるチャンドラー「スタイル」とも言うべき乾いた文体と精緻な筆力は、あるいは時代が時代であれば、チャンドラーと肩を並べたであろう妄想もしたくなる。いや、時代が違ったからこそ、著者はチャンドラーに出会えたし、そのオマージュを作り出すことができたのだろうか。そしてそのオマージュたる部分からの逸脱もまた、すばらしい。虚無的なチャンドラーのヒーローに似ているにしても、関わる人々に深い入りしてしまう「スルー」の感性は、もっと現代的で、70年代的だ。
読み終わる頃には、酒庫にバーボンは何があったか、ワイルドターキーはあったか、いや、気分的にはJTSブラウンか、あるいはオールドクロウか、などという思いが頭をよぎる。
ああ、長らく読み返してなかった。
休みも長いし、久しぶりに引っ張りだして読んでみるか。

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in the bar.


携帯でバーから入力してみたり。
一杯目はジントニック。
店のハモンセラーノは、すでに偃月刀みたいになってました。



二杯目のスーズ・フィズと一緒に頼んだ、チーズの盛り合わせとバゲット。
真ん中左よりにある茶色のチーズは牛のホエーと羊のチーズを混ぜ合わせたとかいうもので、甘みがある。ちょっと僕は好きとはいえない味だったな。
その下の細長いのはパルミジャーノ・レッジャーノ。その右隣のオレンジ色のは名前とか忘れたけど、パルミジャーノみたいなハードさで、悪くなかったな。
その右ちょい上のはブリーで、その上の微妙に黒いのが混じっているのはギネスビールで漬け込んだチーズ。その左隣の小さいのは、エドラダワーでウォッシュしたもの。しかし開封して時間がたつと、少しえぐみのようなものが現れている。
左上の赤茶色のは、イベリコ豚のチョリソー。辛味はきつくないが、その分特徴のない味な感じ。・・・と思ったら、バゲットと一緒に食べると、その脂の味とパンの麦味がなかなかマッチ。これにシャクシャクのレタスとか、マスタードとかを付けると、良い感じのサラミっぽさがでるような気が。
uz1さんによって煽られた(笑)ハモンセラーノonバゲットは、それとしらない店主が自分で試して「すごいうまかったんですよ」と燃え上がっていた(笑)。uz1さんの言うとおり、現地でもそういう食べ方をする人が(すくなくとも一人は)いるという話をしたら、感激しておりました。



三杯目のラフロイグ。
この店だと、15年とかカスクストレングスの10年ばかり飲んでいたんだけど、今日は原点回帰(なぜ?)でスタンダード10年。
「ラフロイグなんて飲みましたっけ?」などとすっとぼけたことを言う店主は相変わらずだ。彼女も原点回帰するべきだ。



四杯目のポールジローの1968。
半端なく美味いです。
最初はなんかメリハリのないつまらない味と思ったのが、二口三口と重ねるたびに、その際立ったブドウの味が輪郭を整えていく感じ。すごい!!レーズンの味と奥底にある焦げた砂糖(カラメルって言え・・・)の旨味が、次第次第に明確に。
あっという間に飲み干してしまう。たぶん、人間が理解できるできないに関わらずそこに含まれる、肉体が本来拒絶したいと思っているであろう嫌な味、成分のようなものが、かなり少ないんだと思う。
ポールジローが二代目に代替わりした年に仕込んだものだそうだ。店主が「私の生年だったんで、思わず買っちゃったんですけど、美味しくてよかったですよ、ほんと」と言っていた。フライハイト、フェルネブランカ+ピコン+オレンジ、ピムス+チンザノ・オランチョ+オレンジとカクテルを三杯(しかし、なんだこの苦味酒ぞろいは・・・)を飲んで、終了。
結局7時から11時過ぎまで座り込んでしまいましたとさ。
ちゃんちゃん。


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