今日、我が王子が恙無く入城されました。1

ダッシュ!!キャリーから出した瞬間、隅っこというか、隠れられそうなところを探してダッシュするものという定説をあざ笑うかのように、王子はゆるりとお輿より降りになり、ときおりダッシュされるなか、主に部屋の中央部を歩かれました。

明日、わが王子が入城なされます。

さらに買ってきたお道具。左手前の銀色のはちべたく感じる板。いってしまうとアルミほぼ100%の板だ。逃げも隠れもしない。ただの板だ。板なんだ!!板なんだよぅ!!(はぁはぁはぁ)・・・シッケイ。気を取り直して。
奥はカドラー(ベッドね)。ちょっといろいろ店員さんとやり取りした経緯があって、自分的にはイマイチ納得してないが(笑)。右手前はじゃらし棒。と、そして右中段にあるのは、北海道土産(笑)。純・道産のササミジャーキーです(笑)。

“命の水”を探して(番外)

ウィスキーの故郷グレートブリテン島やアイルランド島から、新しい土地を求めて海を渡った人々が、アメリカ大陸に渡って見出したものはなんだったのだろうか。
次第に根づき始めた開拓者達の生活の中に、やがて懐かしいあの味を求める気持ちが生まれてきたのは、たぶん当然のことだったのだろう。
17世紀頃から18世紀のアメリカ建国の頃、バージニアにエライジャ・クレイグという牧師がいた。牧師はトウモロコシを主に使って(ライ麦や大麦に比べて、大量にあったからだろう)蒸留酒を造った。それがバーボンの始まりだった。
独立戦争が終わって、財政難になったアメリカは、その頃各地でほそぼそと行われていた蒸留酒造りに対し、税金をかけ、財政にあてる政策を決めた。農民たちと酒造業者は叛乱をおこし、独立戦争そのものよりも多くの被害を出して鎮圧された。多くの農民と酒造業者は、当時国外だった西部に移り住み、やがてケンタッキーに流れ、そこは一大酒造地帯となった。
バーボンという名も、独立戦争に関わっている。第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソン(彼はバージニアの出身だ)は、ケンタッキーのある郡に、独立戦争でアメリカに荷担したフランスでかつて栄えた大王朝に由来して「バーボン(bourbon=ブルボン)」と名前を付けた。
バーボン郡の酒だったアメリカンウィスキーは、やがてバーボンと呼ばれるようになったのだ。
バーボンというウィスキーは厳格に規格されている。
原料として、トウモロコシを51%以上80%未満使用し、内側を焦がした新品の樽で2年以上寝かせた、ケンタッキー州ですべての工程が行われたウィスキーだけを「バーボン」と呼ぶことができる。
よくある話としては、「ジャック・ダニエル(Jack Daniels)」をバーボンと勘違いしている人に、それはこんな風に違うんだよ、ということがある。
ジャック・ダニエルはテネシー州で作られていて、トウモロコシの割合も80%を超えている。出来上がった酒を、サトウカエデの炭で濾過するのも違う。
だが逆に勘違いしてならないのは、それゆえにジャック・ダニエルはすばらしい酒であり、甘味と野生味のバランスを保った無双の酒なのだ。
何しろ、濾過に使われるサトウカエデは、蒸留所の敷地の一角に山積みされ、いきなり火をかけられ、そこに熟練の職人が火の状態を見極めながら水をかけるという手法で作られている。
見学にきた製炭技術者が目をむいて驚いたという逸話付きだ。「こんな方法で炭を作るなんて!!」
(褒めてるのか貶してるのか・・・>自分)
その後、禁酒法による圧政を受け続けてから、Maker’s Mark、Jim Beams、Wild Turkey、Early Timesなどの有名なバーボン、Old Grand Dad、Old 101、Evan Williams、Ezra Brooks、Van Winkle、Branton、Old Crow、Bookersなどの本格派まで、数え上げたらきりがないほどの拡大を果したバーボンは、今や故郷のシングルモルト・スコッチウィスキーに比肩するほどの文化として、世界中に認められるようになった。
男性的な酒として知られいているが、トウモロコシの甘味などからして、日本人、特に女性に良く好まれている。
カクテルベースとするなら、柑橘類と特に相性が良く、甘味を際立たせるためにほんの少しの糖分を加えることが多い。
さて、今夜はYellow Rose of Texasでも。
それともMaker’s Markでミントジュレップ?

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