“命の水”を探して(1)

酒には二種類しかない。
美味い酒と美味くない酒だ。
美味い酒の造り方はシンプルでわかりやすく作業の理由は明確だが、手間がかかる。美味くない酒の造り方は複雑なうえ、覆い隠されている部分があって胡散臭いが、すごく簡単にできる。
こうした単純なことで、世の中の7割は美味くない酒で満たされている。悲しむべきことだが。
美味い酒の話をしようと思う。
スコットランドの田舎道を行くと、信じられないほど延々と、ヒース(ヘザー)の野原が続いていることに気付くことができる。
アイレイにしてもオークニーにしても、小島へ渡ってもそれは同じだ。ヒースの野原、それそのものがスコットランドになっていることを、私たちは後に知ることになる。
近世、イングランドとの連合王国となったスコットランドの市民達に、強く圧し掛かってきたのは酒税という強権だった。あまりの酒税の重さに、グレンウィスキー(麦でない穀物を使ったウイスキー(麦芽税に対抗した))を連続蒸留器(底の浅い釜で、何度も蒸留を重ねる(釜容量税に対抗した))で作るといった逃げ道を考えた業者もいたが、そうやってさして美味くもない酒をおおっぴらに造るのもやめてしまった業者が多かった。
彼らは、地下に潜ったのだ。
山奥の川の源流や、誰もこない小島の岬に、小屋を作った。そして、手当たり次第、手近にあるものでウィスキーを造り始めたのだ。
麦は近くの農家から仕入れる。
水はもともと豊富な湧き水がある。
ふと困ったのが燃料だった。麦を煮、麦汁を造る。醸造された醗酵麦汁を蒸留する。いろいろな段階で熱が必要であり、それは莫大な量を必要とした。
しかし、さして彼らは困ったりもせず、そこらあたりの土を掘り出し、それを炉にくべたのだ。
「泥炭」と日本ではいう。ピートと呼ばれる、土状の炭は、何千年もの間、スコットランドの大地の上に、咲いては枯れ咲いては枯れを繰り返したヒースが、朽ち、腐敗し、泥化し、乾燥し、折り重なり、積み上げられ、圧縮されていったものだ。泥というよりは土で、腐葉土よりもかたく、粘土のようなものよりは、ずっと柔らかい。
このピートで麦を燻すことで、独特の甘味、独特に匂いの、主たる部分が創り出されているのだ。
これは、イングランドに隠れてウィスキーを造り始めた密造業者の昔から、変わらず連綿と続けられてきた、スコットランドウィスキーがスコットランドウィスキーであるための、まず一つめの理由なのだ。
そして出来上がった酒を、そこらに生えているオーク(樫)の木で作った樽に入れる。これも理由の一つだ。今は当然のようにし熟成期間を何年も費やしているが、これも密造業者にとっては苦肉の策だった。
密造したものを一度に裏市場に流すと、足がつきやすい。たくさんの相手と取引しなければならないからだ。自然と、少しずつ、少ない相手に少しずつ流していく方法しか取れない。ゆえに長期間、樽の中で酒は置いておかれることになった。また、業者自身逮捕されてしまったが、密造小屋の場所を吐かなかったため、小屋の中に長期間置き去りにされていたことも考えられる。
いずれにせよ、このようにして蒸留酒はオーク樽の中で長期間保存され、まったく別物の酒に変化していく。
オークの成分そのものや、アルコールと酸素などとの化学反応で、次第に琥珀色になっていく。
アルコールは揮発し、当初70度前後もあった度数は、10年で40~50度ほどになる。
柔らかさを増し、複雑な甘味と、切れ上がるアルコール香、ピートの香り、それらのすべてが強調される。
長期保存による熟成という概念が、ここに生まれたのだ。
今では、ウィスキーと呼ばれるものは最低でも5年、普通8年以上の熟成期間をもって出荷される。最高級な長期熟成酒になると、30年前後、さらには50年物なども存在している。
年を重ねるごとに、通常、味全体は丸みを帯び、香りは複雑に、かつ柔らかくなる。値段も張るが(笑)。
しこうして、スコットランドにウィスキーは根付き、やがて酒税法の緩和に伴って密造小屋は蒸留所となり、初めは業者が飲みやすい味になるよう、割水し、いくつもの蒸留所の酒を混ぜて売っていたが、人々の本物志向に後押しされる形で、一つの蒸留所で、一つの畑から取れた麦をもって造った酒を、瓶に詰め、売り出すようになった。これがシングル・モルト・スコッチウィスキーである。
1980年前後、数多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれたが、逆にそのせいで、シングル・モルトを造ることができる、80余りの蒸留所は、今、非常に大事にされている。スコットランド文化の一つであるという誇りとともに。


初出: cookpad.com 2002/07/04

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