劇団四季「エクウス(馬)」

というわけで、劇団四季のストレートプレイ「エクウス(馬)」を観てきました。


「エクウス(馬)」はピーター・シェーファーによる戯曲。劇団四季では1975年に初演、1990年の再演では市村正親が、その後も加藤敬二や望月龍平などがアラン役を演じてきました。今回のアラン役は藤原大輔。これまでも「ユタ」や「夢醒め」をやってきた若手です。海外では最近、「ハリー・ポッター」で有名なダニエル・ラドクリフが演じたことでも話題になりました。
もう一人の主役、ダイサートは日下武史。これは初演以来変わっていません。

もとより観劇の対象でなかったストレートプレイを観るつもりになったのは、まあ他でも色々な舞台を見てきましたといえるような経験者ではないし、そうするつもりもあまりないのだけど、なんとなく世の中に於ける劇団四季の位置を知りたいなという欲求もあって、そのためには一度くらいちゃんとストレートプレイを観てみるのもいいだろうと思ったから。

とはいえ、妙に小難しい内容が多い劇団四季のストレートプレイの中でも屈指といわれる「エクウス(馬)」。
対策として眠眠打破の強いヤツを飲んだり、ハードミントキャンディをなめたり・・・ってそうじゃない?w

客席には日下武史や浅利慶太と同年代と思しき方々が多く見受けられ、そういうものなのだなぁという思いに駆られる。
若い子が喜んで観に来るようなネタじゃないんだな、と。と、思っていたら専門学生、あるいは高校生?という雰囲気の三人組の女の子がいたりして。ステージシート上は意外と男性が多くて、不思議な雰囲気でした。
ああ、日下武史や浅利慶太と同年代の人が多いこともあって、上演中の咳や物音は多め。まあしょうがない。

といいながら、内容的には非常に面白くみられた。
藤原大輔のアラン役は緊張感があって、精神的な問題を抱えた少年という存在を体の奥底から表現できていたと思う。
無神論者で横暴な現実主義者の父と、経験なキリスト教徒で過保護な元教師の母との間で、はじめは母の過剰な愛情とともに宗教という甘い蜜に浸りながら暮らしていたアランが、父によって現実的な冷え冷えとした実社会へと叩き出されていく過程で、馬に見出した神性というまた同じように甘い蜜から、同じように父によって現実的な性の成長へと追い立てられていく、いわば破瓜のようなモチーフの多重構造と、現実:非現実、正常:異常、宗教:社会、あるいは宗教:医療、父:母、アラン:父、ジル:母、という対比の絡み合いが一層の重奏となる。
ひとつひとつのセリフ、舞台に置かれる効果、俳優たちの動きのすべてに意味があり、無駄なことが一切ない、体脂肪率0%とでもいえそうな舞台だった。

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