選択

もともと連載していた雑誌の出版社から、完結編までがまとめられた単行本を発売するに至らず、後に他社の文庫から全編を出版することになった稀有な少女漫画家の、その文庫のあとがきに連載当時や以前の編集側と作家の葛藤が少しだけ綴られていた。
少女マンガという形態のその雑誌では、まずもって「SF」という冠を、マンガにつけることはご法度となっていたという。少女マンガの読者=少女たちは「SFというジャンル」に根本的な違和感を感じていて、「SF」と冠がついたマンガは受け入れられない、という前提があるという。
ゆえに、その漫画家は、編集者に企画意図を説明する上で「ファンタジーです」と説明していたそうだ。
現実的に、建前と本音の使い分けや、根回し、立場的力学の利用は必要不可欠であることを否定するつもりはない。だが、政治的で、既得権益主義的で、権威的なそれらは、意識革新や拡大、総括、刷新とは無縁だ。
不思議なことに、私の周り(といっても仕事関係の周囲)にはこれらの論理的関係性を理解できない人々が非常に多い。取締役は社員に対してさえ建前でものをしゃべる。根回しもろくにせずに、すでに決定したと通告する。立場の違いを強調しつつ、自分の立場での責任をまっとうしない。既得権益を保護するために髪の毛を振り乱してても抵抗するが、政治的な駆け引きは基本的に下手だ。権威主義的で自らは非論理的なのに、それを指摘すると論理的に説明しろと詰め寄る。革新だ刷新だと大鉈を振り上げるが、振り下ろす頃にはそれは扇子に変わっている。
私が旨く「SF」という冠を隠しつつ、もっと別なものとして新しいものを作り出してみせ、後からそれが「SF」だと付け加えるべきだろうか。
そうすることにやぶさかでない、とあるいは自分を鼓舞してみせるには、私はすこし歳をとりすぎたかもしれない。
ならば、答えはひとつだ。

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