ある意味では。

しっかりと限界値を知るということは、やっぱり重要なのだな、と再認識した。
自分としてはもとからそれを旨としていたものだが、周囲の在り様を見て、これが重要なことなのだという再認識をしたわけだ。
どちらかというと急進的な考え方をする自分だが、そこで、あるいはそれにおいて発揮することができる自分の能力は、あくまで自分の限界値の中で行わなければならない。もしかしたら、それは自分が急進的であることを理解していて、急進的であるからこそ自分を押し止めなければならない状況にそのブレーキ役として限界値を用いることができるのかもしれない。保守的で論理的だと思っていた人が、急激に限界値を超える職能を期待されたことで、自ら、周囲も驚くべきペースで脱線していくのを見たのだ。はみ出したことがない人だったから、ちょっとはみ出せばよかったものを、ついついはみ出しすぎて元に戻れなくなってしまったということなのだろう。
限界値は必ずある。どんなものでも破断するし、轢断するし、圧潰する。その限界ぎりぎり、あるいはちょっとはみ出しては限界内に戻る繰り返しで、進んでいくべきなのだ。ブレーキの壊れた車では、レースに勝てない。
人のふり見て我がふり直せ、というようなことでもあり。

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