思い悩む。

思い煩うことはない。人生に意味なんぞありはしないのだ。COBYです。
引用はサマセット・モームの言葉からです。
無理解に苦しむ人がいて、無理解が理解できない人がいる。その渦中にありながら、そのことそのものに気づかない近視の人は、人生のなんたるかということをそもそも考えもしない人であり、人生という言葉が存在することさえ知らないか、あるいは生きてさえいないに違いないと思っています。
無理解に苦しむことは、たぶんまともな感性と人生観を持った人にとって避けられ得ない事象なのでしょう。それはつまり、あなたのその悩み事そのものもまた、仕方ないのではないかという思案です。まさに、サマセット・モームがいうように、思い煩うことをせず、あきらめてしまいなさい、ということです。
人生に意味がないとして、しかしそれに意味を求めているからこそ、思い悩むことになる。思い悩むなといわれても、思い悩むべくある今にあって、それが意味をもたない答えにこそ通じているのだというのは、酷な論拠で、到底受け入れがたいと思うでしょう。だけど、確かなことは、理解のために必要なのは、まず理解であり、理由は必ずしも必要がないということです。理解することと、理由を知ることは、何かの答えの別の側面ではないのです。まったく別の事象を説明しているものなのです。たぶん。