歩く日々

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朝夕と仕事場への行き帰り、なるべく歩こうと思って、港に面した公園を経由して歩いていますが、この季節は太陽が低くて大変です。
そろそろサングラスが必要なレベル。
そんなことをぼんやり考える日々。

これからのこと

地震があって、原発が困ったことになって、収束する状況にもまだなれないということになっていて、原発なくせとか言ってる人たちのことが理解できない私です。

原発なくせ、という人はなくすまでにかかる時間のことをわかっているんでしょうか。なくすために必要な費用と、それに代わるエネルギー供給源にかかる費用、あるいはそういうエネルギーを必要としない社会への転換にかかる費用は?何某大臣がいった「100年に1度の災害のために対策する必要があるんですか?」みたいな言葉と、似てるなぁと思います。実際に100年に1度かという地震が起きて、今こうなってるわけです。M8.0クラスの余震がまだあるかもなどと、わーわー言ってるところですが、落ち着いて考えてみれば、あと100年もすれば、また今回と同レベルの地震がくるかもしれないわけです。今から100年くらい前にあったという地震では、まだ地域に住んでいた住民が正確にどのくらいいたのかわからないし、前後の記録も正確とはいえないでしょうから、どのくらい被害があったのかわからなくて、今回はこれだけ発達した社会でも万単位の人間が行方不明になったわけです。この100年でどれほど進化したんですかね、地震・津波対策は、といいたいわけです。

次の100年後に向けてやるべきことは、原発をなくすだけでいいんですか?なくしても地震は起きるし、津波は起きて、建物は流されなくなるかもしれないけど、人はやっぱり流されたりするんじゃないでしょうか。建築の進化は100年の間に確かにあったけど、それでも戸建ての住宅等は耐えられなかったので、これからの進化はもっと必要とは思いますが。地震に耐えられて、津波にも耐えられて、ほとんど被害らしい被害はない、せいぜい外海に面したあたりでつないであったボートが1艘流されちゃった程度の被害に食い止める方法論、それこそが100年後に必要なことなんじゃないですかね。

そんとき自分は生きてないだろうから関係ない、っていうのは官僚の「ただちに健康に被害があるとは考えられない(少なくとも自分の在職中は)」というのと同じです。ほとんどすべてのものが流されて、たぶんがれきを撤去したら海までただただ更地が残るだろう被災地だけに対策すればいい問題でもないでしょう。起こる可能性はほとんど日本全国どこであってもあるし、その災厄から東京であっても逃れられないはずです。いまのほにょほにょ揺れる程度の耐震・免震設計とかで本当に大丈夫なのか、再検討の上、「本当に大丈夫」と言えるくらいまで安全な街をつくらなくちゃいけないんじゃないですか。

被災地の人たちが、あーよかった人心地つけられるわ、といえるまで復興したら、そこから次にやらなきゃいけないことを、スイマセン、今考えていました。

近況

ひとつ前のエントリを送信して、すこししたら地震がありました。
それから週末を過ぎ越して、あっというまに週明け。ふと思い出して状況を報告しておきます。
ワタシにあった地震による被害は、事務所でキーボード1つがコーヒーによる浸水で故障したくらい。事務所では、液晶モニタ二台が机上から落下、その他コーヒー被害で机と内線用電話機が浸水したけど、なんとなく無事のようす。自宅では、机とテレビ台がちょっとずれた程度で、ほとんどなにもなし。あ、DVDがちょっと落ちて散らかったか。そのくらい。

実家の母には6時間後くらいに連絡がついて無事確認。実家から10kmくらいの姉貴には18時間後くらいに連絡がついて無事確認。
関東圏の友人のほとんどが無事と確認できて、都市機能的には混乱があるものの、おおむね普通の生活に近い状態。

今のところ輪番停電は対象外だったり回避だったりで実施されてないけど、これからはあるらしい。横浜市では水道の断水もありえるような話が流れてきたところ。

あとはちょっと疲れてるかなーくらいのもの。
ゆらゆらいつも揺れてる気がする程度と。

あ、ルネは元気。何度も何度もお菓子をほしがってうるさいくらいです。

さらば、電子書籍

以前からぶつぶついろいろ書いてきた電子出版にまつわることが、あまり書かなくなった4月以降ぐんぐん状況が変わって面白いやら悲しいやら。動きが多くて面倒くさいのと、やっぱりがっかりな状況に突き進んでるんで書く気を失っていたんですが、やっぱり少し書いておこうと思います。

この状況の発端はやっぱりiPad。日本でもついに電子出版の芽が花になったという瞬間だったことは認めます。
ただやっぱり日本の出版業界のありようは、混沌としすぎていてどんよりと濁った沼のよう。

日本電子書籍出版協会などができたと思ったら、あっという間にそれに与しない出版社やベンチャーによる独自の方向からの出版が雨後のたけのこのごとく乱立。いずれそれも大手に刈り取られてしまうんだろうなぁ。特に、手持ちの本や雑誌を送りつけると裁断して電子書籍化してデータで返してくれる、裁断した本は廃棄してくれる、というベンチャーによるサービスなど、思わずゾッとしたもの。意外と評判でかなり注文が殺到しているというから驚く。個人でも自ら裁断してスキャナで取り込んでPDF化などという人も増えているらしい。私は個人的には電子出版、電子書籍が多くなればいいとは思っていますが、元は本が好きでこのムーブメントでも紙の本がなくなるなんてこれっぽっちも思っていないわけで、しかも今の手持ちの本を裁断してまで電子書籍化するなんてありえないと思っています。本を切り刻んで、しかも廃棄することを前提にするなんて。

瀬名秀明や京極夏彦といったビッグネームが個人の名で電子書籍を引っ張っていくのはいいことだと思う反面、結局既存の出版社との絡み、しがらみで輝きを失っていくだろうという予測を思うとなんとなくすっきりした気持ちにはなれません。電子書籍の推進に必要なのは、ユーザーがほしい書籍をゼロタイムで手に入れられることだと思っています。ビッグネームの書籍がいち早く電子化、または電子書籍が先行する形で販売されることは、そういう意味でいいことだと思いますが、それらビッグネームの過去の作品、あるいはいわゆる「名作」以外の中期的過去作品の膨大な作品群が忘れ去られるのはどうかと。あるいはこれから電子出版される過程で、これは紙だけ、これは電子出版だけと分類されていくなら、やはりどちらの立ち位置にあっても得にはならないと思います。

そして先月末に入ってきたニュースで大笑いさせてもらったのは、SONYがKDDIなどと電子書籍を出す新会社を設立し、年内にサービスを開始したいとしたもの。驚くべきことです。電子書籍端末では、kindleよりもiPadよりも何年も前からやっているはずのSONYが、iPadで電子書籍の花が咲いたと沸いている日本において1ヶ月も経ってから、年内にもサービス開始したいというほどごゆっくりとした仕事を発表するなんて。まさか2年もしたら撤退することを前提にやってるんじゃないかと下司の勘ぐりをしているところです。日本の電子出版をここまで遅らせたのは、SONYだと思っている。LIBRIeの失敗はわかる、だがその失敗から何も学んでいないみたいにみえるし、LIBRIeが失敗したんでも日本の電子出版という土壌に種をまいたのはSONYなのだから、てきぱきと育てる義務があったはず。猛省のうえで、次の事業を考えてほしい。

そんなわけで、これから混沌とした時代になっていくんだなぁと思うと気が重い。いや実際は、端末的にはiPadの一人勝ちになるだけ、フォーマットは大手の刈り取りの結果になるんだろうと思う。正直言うと、もうどうでもいい、という気持ちになってる。上の状況にはやっぱり読者、消費者の立場はほとんど盛り込まれていないし、誰かがフォローしてくれそうにも思えないから。

 あいつらは好き勝手に世界をめちゃくちゃに変えていくんだ。

あとはまあ、またいずれ。

新居探訪

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パノラマっ!

本日は某新居に集合。
広いリビングで飲んだり食べたり、ダラダラしたり、基本ですね。わかりました(渡辺篤史)。