Winny製作者が逮捕されるわけだけども、まあこれもまだ判決が出ていないので僕の流儀としてはまだ犯罪と確定したわけじゃないとも言えるけど、世間的な風潮とマスコミの立場は明らかに「有罪」。
っていうか、こうやって逮捕されるっていうだけでも衝撃だし、打撃。
個々のプログラマ、特にフリーなソフトウェアを作っているプログラマはこうして誰にも擁護されることなく、国選弁護人とともに法廷に臨むことになるんですね(個人的に銭をもっていなければ、ですが)。
ほう助という考え方はすごーく微妙だし、こんなことで使っていいのかなぁ、という気がしないでもない。だって、ちょっとだけ広義にすればあらゆる通信ソフトウェアはその範疇だし、FTPにしたって、いやTCP/IPということだけでいったって、あーもーInternetっていうことだって、その範疇じゃないのか?
だって、それがなければファイル交換は起こらなかったかもしれないんだから。
それをいったら、WindowsだろうがLINUXだろうがMacOSだろうが、みんなそうだし、ひいてはネットワークに接続可能なコンピュータそのものがほう助していることにだってなろう。
僕が言いたいのは(以前から同じようなことを言っているのだけど)、著作権や所有権という旧態依然のもののあり方を、そろそろ考え直すべきではないのだろうか、ということだ。
ファイル交換やインターネットによるネットワークそのものは、すでに不可避で決然とそこに存在しているある種の社会構造であり、少なくとも現代まで人間が作ってきた物理社会と必ずしも相容れないシステムを内包していることは間違いようのない事実なのだから。
ある個のサーバーに負荷を与えずに大容量のデータを拡散させ配布させるには、やはりどうしてもP2Pファイル交換システムのような負荷分散方式をとらざるを得ないし、よくよく考えてみればそれは、インターネットを初めて作り上げた先達の、強い意志だったのではないだろうか。我々のこのインターネットという社会は、そもそもそういった負荷分散システムなのであり、P2Pファイル交換システムはそれを個々のPCレベルで顕在化させたに過ぎないのではないだろうか。
その社会システムであるインターネットにいる限りにおいて、現在社会的に通用している概念が同じように通じないということについて、アレルギー反応を感じる人がいることは重々承知しているが、いい加減にその現象そのものを認め、その上で解決策を考えるべきなのではないだろうか。
通用しないのだ、そこから始める検討こそが、ネットワーク社会システムと著作権システムの共存のきっかけになるのではないかということだ。
具体的にどうするか、ということはまた別にしても、犯罪者というレッテルを貼られる若い人々を生み出し続ける現在の状況を、ただそのまま放置していて良いとは思えないのだ。アンダーグラウンドに潜る個人や団体が生まれることは必至だろうし、あるいはもっとひどい結果も生み出しかねない。
物理社会と、ネットワーク社会システムが馴化し、統合されているこの状態を継続するためには、片方だけが痛い思いをしている現状を打開しなければならないはずだ。
悶々としつつ、これ以上突っ込んだことを書くのは、ちょっと控えてみたりもする。
また続きはいずれ。