あの日、あの時、あの梅酒。

そういえば、って思い出して、アレをあけたんですよ。
2年前(だったと思うけど)、梅酒を漬け込んだんですね。ええ、そうです、某料理サイトで。3年前だっけ?
そのときは、日本酒、シェリー(フィノ)、コアントロー、スピリタスで漬け込んだのだけど、日本酒とシェリーはすでに(度数が弱いこともあって)飲み終わってまして。
コアントローは1年前くらいにすこし試飲した程度、スピリタスに至っては一度も開封してないという(笑)。ええ、そうです、梅もまだ入ったままです(笑)。
しかし、世間で言われているほどに梅そのものに異常はなく、酒にも異常はないようでした。
スピリタスはもともとは不味屋のリクエストで作ったものでしたけど、その後受け取りを拒否されてしまっているので(笑)、仕方なく自分で消費することに。
コアントローは風味も失われてなくて、ソーダ割りにはちょうどいい感じ。スピリタスは薄めに作らないとあぶないな、という程度にはアルコール度数は残ってます。たぶん50度は堅いのではないかと。
ザルとロウトを使って別のビンに移し、今は冷蔵庫の中。
ようやくその他の在庫酒がなくなってきたので、今度はこちらを毎日飲むことになりそう(笑)。

ある意味では。

しっかりと限界値を知るということは、やっぱり重要なのだな、と再認識した。
自分としてはもとからそれを旨としていたものだが、周囲の在り様を見て、これが重要なことなのだという再認識をしたわけだ。
どちらかというと急進的な考え方をする自分だが、そこで、あるいはそれにおいて発揮することができる自分の能力は、あくまで自分の限界値の中で行わなければならない。もしかしたら、それは自分が急進的であることを理解していて、急進的であるからこそ自分を押し止めなければならない状況にそのブレーキ役として限界値を用いることができるのかもしれない。保守的で論理的だと思っていた人が、急激に限界値を超える職能を期待されたことで、自ら、周囲も驚くべきペースで脱線していくのを見たのだ。はみ出したことがない人だったから、ちょっとはみ出せばよかったものを、ついついはみ出しすぎて元に戻れなくなってしまったということなのだろう。
限界値は必ずある。どんなものでも破断するし、轢断するし、圧潰する。その限界ぎりぎり、あるいはちょっとはみ出しては限界内に戻る繰り返しで、進んでいくべきなのだ。ブレーキの壊れた車では、レースに勝てない。
人のふり見て我がふり直せ、というようなことでもあり。

ハバネロフランクとやら

habanerofrank.jpgセブンイレブン(別名:ウチの冷蔵庫「大きい方」)に、暴君ハバネロフランクというそそる名前の商品が!
そら食ってみないとねー。
ってことで、食ってみました。
・・・でかいチョリソーじゃん、これ・・・。
とかいっちゃいけないか(笑)。でも、それほど激辛ってワケでもなかったです。