思い出話

[ DoblogのときのEntry ]
十数年前のことだ。住んでいたアパートのごく近所にあった、ざっかないくだけた雰囲気のバーに入り浸っていた頃。
その頃僕は会社の事務の女の子に入れ揚げていて(笑)、やれ今日はかなり親身に話をしたぞとか、あれは絶対僕に興味があるってことだなどと馬鹿な話を、バーテンダーとしたりしていた。
ジンが好きで、店ではボトルキープの制度はなかったが、バックバーにタンカレー・ジンが2本置かれていて、1本は通常の営業用、1本は僕が飲むためのものだった。まだバーに行き始めて飲み方を憶えたつもりになって、いい気になっていた頃だった。
しかしそんなうわっついた日々にも、終わりはやってくる。
それも案外唐突で、あっけなく。
彼女は会社を1週間休んでいたかと思ったら、辞めてしまった。彼女は大失恋をして、それがきっかけで体調を崩し、田舎に帰って静養することにしたというのだ。
慌ただしく送別会のようなことをして、あっという間に事態が過ぎ去ってしまった後、なんだか非常に虚しい日々が僕の前に残っていることに気づいた。
やりきれない、というか、やるせない、というか、そのような悶々とした気持ちを、僕はどこかで発散させなければならなかったのだ。
言うまでも無くそれがいつものバーであることは、自明というよりピッカピカに光ってるくらいの理だったわけで。
後輩を誘い、いつものバーに行きタンカレー・ジンをストレートで頼むと、後輩の酒が出てくる前に飲み干してしまった。さらに立て続けにストレートを2杯飲んでから、物足りないと思ってスピリタスを頼んだ。
半年くらい前に、都内の何軒かのバーで火災を起こした原因になった、度数96度の世界最強を誇るポーランドのウォッカだ。普通ストレートで飲むのは「程度を知らないおばか」か「自棄になっているおばか」しかない。
僕はつまり、後者だったわけだ。
記憶に残っているのはスピリタスを2杯飲んだところまで。
次の日の朝、というか昼ごろ、ドンドンと何かをたたく音で眼が覚めた。起き上がると自室のようで、ジーンズにTシャツ一枚で、秋から冬に変わろうとしていた季節にはすこし寒すぎる感じだ。
ドンドンという音はドアチャイムなど無い僕の安アパートのドアをたたく音で、たたいていたのは昨日連れ立っていた後輩のようだった。
激しく、なんてものじゃなく、動くだけで矢が刺さるような痛みの頭を抱えながらなんとかドアにたどり着き、ドアを開けると心配そうな顔をした後輩が立っていた。
「だいじょうぶっすか?」
だいじょうぶって、何がだ。
「○○さんっすよ。うわっ、その腕っ。ひじっ。」
後輩がいきなり指差す。
なんだよ、と思って自分の左ひじを見ると、でかい、それはでかいカサブタのできはじめのヤツがびっしりついている。
うわっ!
慌てて右ひじをみると、左よりかは小さいけれど、おなじようなカサブタのできはじめが。
うわわっ!なんだこれ!
「あー、あれだ。○○さん、ここに上がってくるとき(アパートの部屋は二階だった)、階段を匍匐前進してたから、それだ。」
ぼーぜん。階段を匍匐前進するヤツなんてこの世の中にいるのか?答えはイエス。この僕だ。
などと考えていると、後輩はため息をつくみたいに言った。
「ま、生きてるんなら問題ないっすね。じゃ、あとはお大事に。」
あ、ああ、じゃあな。
まだ呆然としながら、後輩の立ち去った玄関から部屋に戻ると、先ほどまで寝転がっていた布団のシーツにはまるで殺人事件でもあったんじゃないかと思えるような血のひきずった跡。
ようやっと訪れた激しい後悔の念を胸に抱きつつ、シーツを洗濯し自分も風呂に入った(入ったことを後悔したが)。
ポカリスエットを1リットル飲んだところで、ようやく人心地がついて、夕べのことを思い出そうとしたが、どうしてもスピリタスを2杯飲んだところから先は思い出せない。
先ほどの後輩に電話をすると、少なくとも
・バーでは、スツールを前後にガタンガタンと揺らし話し続けていた。
・話の内容はどんなに止めようとしても20分ごとに同じ話に戻った。
・バーを出てから、帰るまでの間、2回泣いた。
・1回だけ、路上駐車していたマジでヤバそうなベンツを蹴ろうとしたので止めた。
ということだった。
その日の夕方、バーにご迷惑をお詫びするついでと行ってみたら、入るなり「○○さんがあんな人だとは思わなかった。」と店員全員に言われ、詳しく教えてくれと懇願しても誰も答えてくれず、バーテンダーさんから「もう絶対スピリタスのストレートは出しませんから」と釘を刺された。
言われなくてももう飲まないわい、とバーテンダーさんに誓ってはや十数年。
あの誓いは今でも破っていませんよ、美浦君。

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