ハッハッハッ、まだまだ若いのぉ。

[ Yahoo!ニュース – 社会 – 産経新聞/千葉の県立高入試で“難問” 受験生の半数0点 道案内の作文、選択肢に混乱 ]

千葉県の県立高校入試の「国語」の設問に、受験生の半数がまったく得点できなかったというものがあったそうな。

設問そのものが掲載されていないのでアレだけど、要約すると
・散歩の途中でおじいさんと出会った
・おじいさんに公民館までの道案内を頼まれた
・公民館までは、急な上り坂のあるAの道か平らな道のBかの2つがある(たぶん、Aが近く、Bが遠回りなんだと思われる)
・おじいさんは急いでいるようだ」「体力がなさそう」「とても元気そう」「時間の余裕がありそう」のいずれかである、と仮定する
・あなたが、そのおじいさんにどのような配慮をしているのかがわかるようにとなる。
問題を作った人の気持ちとしては「考えている内容を人に適切な表現で伝えられる文章を書くこと」というものだったようだ。
それは分からないでもないけど、質問の仕方があまりにも「道徳観念的選択肢」になっていないかねぇ?
おじいさんが「とても元気そう」なら「急な坂道があるA」を選ぶだろうし、「時間の余裕がありそう」なら「平らなB」を選ぶだろう。それはある意味「当然」だし、状況的選択肢とは言えない。その選択肢自体「どれでも構わない」と県教育委員会が言っているのであれば、問題を作成した人がはっきりと指定しておけばいいだけのことではないのだろうか。例えば「おじいさんはここまでの間、迷って歩いていたようで疲れているみたいだ。」とかね。

そこに加えて「あなたが、そのおじいさんにどのような配慮をしているのかがわかるように」ってさ、文章の能力を測る設問じゃないよねぇ。これじゃある意味、道徳の試験だ。
「どれくらい人のことを気遣っているか、説明しなさい」っていう風に解釈する可能性なんて高いでしょう。

結局、問題を目にして「これは国語の試験、道徳性を見るものじゃないんだから、冷静にシチュエーションを組み立てて表現すればいいんだ」と判断できるか、ということになるわけだ。

いまどきの中学生がどれくらい素直なのか(笑)、こういうものに対策できているのか知らないけど、国語文章能力の判断という視点からみて、ちょっとこの問題、お粗末だなぁという気も。

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