誰か一人の問題ではなく。

[ 自転車用、歩行者用 / IL SOLE DEL CUORE. ]
またこれも、以前、blog化する前の日記でも書いてたような気がするんだけど。
かつて、同様のことを自転車好きを自認する友人に嘆くと、その友人は「自分はそんなことしないから」と答えたものだ。そういうことではなく、自転車と呼べるすべてのものに乗っている人は、いついかなるときも歩行者に危害はもちろんのこと、危険と感じさせることさえも行わないと感じるべきだ。
我が友人にせよ誰にせよ、自転車を趣味とし、また通勤・通学の手段とし、生活の糧の一部とでもしている人は、これらのことを自分のこととして考えるべきだ。
歩道を走っている自転車は、まるで自分が優先されるべきかのように走る。だが、これは間違いだ。歩道とは「」道であり、行者のための道路だ。1978年、増え続ける自転車の車道走行による事故の緊急避難的対策として、自転車が歩道を走行することを黙認するとしたにすぎない。まして、この際に定められた「自転車歩道通行可」の標識がある場所だけ、という規定を自転車側がなし崩し的に全歩道で走行しているにすぎないのだ。
歩行者がいて通れそうにない、あるいは危険をはらむ場合には、自転車は車道に出て走行するべきである。警笛・ベル等を鳴らしたから歩行者にぶつけてでも通るというのは噴飯ものだ。実際、私の通勤の途中にある高校の、自転車通学をしている学生たちは、そうしないと遅刻するから、と言わんばかりに連なって、歩道を強烈なスピードで通りぬけようとする。歩行者は敢えてその高校の壁にひじも擦り付けんばかりに寄って歩かなければならず、時にはその自転車同士が追い越しをし合い、歩行者にぶつかっても、まるでスラローム走行でコーンにぶつけてしまったかのような顔をして過ぎ去っていく。正常な交通教育がされてるとはとても思えない。ちなみに、その高校とは都立富士高校だが。実名。
また、車道を走っている自転車でも、信号を無視することが多い。
特に、横断歩道の信号が青になった場合、車道は信号が赤になるわけだが、自転車は停止線を守らず通過したり、あるいは右折して横断歩道を渡ったりする。横断歩道にさしかかる歩行者が、危険を感じることが多いのは、何も歩道を走行している自転車だけではなく、傍若無人に信号を無視する自転車が、非常に多いからだ。この自転車による信号無視の確率は、体感であっても明らかに自動車によるそれよりも多い。
当然、歩行者に罪がある場合もある。傍若無人な違法横断や歩道占有、急な進路変更などがある。
逆に言えば、自動車でも自転車でも歩行者でも、罪となる行為をしているのだ、ということでもある。
「お互い様」という意見は当然だし、私もそう思う。だが、そういう総論での論議は意味がない。
実際に法を犯しているものがいて、危険にさいなまれている人がいるのだ。

“誰か一人の問題ではなく。” への3件の返信

  1. 危険にさいなまれた人、その1です(苦笑)
    道路交通法に自転車の交通方法の特例ってのがあったので、斜め読みしてみたら『普通自転車は、当該歩道(道路標識等により通行することができるとされる歩道)の中央から車道よりの部分を徐行しなければならず、その進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは一時停止しなければならない』とありました。
    こういう身近で大事なことって学校では教えてもらった記憶がなかったし、知らない人は永久に知らないんじゃないかしら?と、ぞっとしたりして。自転車事故にひき逃げが適用されたって新聞で読んだけど、当然でしょうと思う反面
    適用されなかった事例もあるならそっちのほうが驚きなわけで。
    啓蒙する必要を感じます。

  2. 自転車用、歩行者用

    図書館からの帰り道。 後ろから来た自転車にひかれそうになりました。 愛知万博の準備の一環として 車道や歩道の整備がどんどん進んでいる近所の大通り。 工事中は不便…

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