発掘

現在の部屋には、そこに越してきたときに箱詰めされたままの本と、その後に増えてまた箱詰めされた本が、目測で500~800冊ほどある。その8割くらいは漫画で、単行本も文庫本もある。
実家のガレージには、このままでは腐るばかりに放置されている箱詰めの本が、この3倍~4倍はあると思われるが、年老いた父母にそれを何とかしろというのも無理だろう。
いや、まあそれはおいといて、だ。
現在の在庫を発掘した。実は、同じようにどこかに埋もれているはずの1本のVHSテープを探していたのだが、結局それはぜんぜん見つからず、偶然見つけた金鉱のように文庫本の箱に私は吸い寄せられていったのだ。
見つけたのは、先日別の場所で見つけていたオナー・ハリントンものの「巡洋戦艦“ナイキ”出撃!」の上巻にたいして、下巻ほか、他のすべてのオナー・ハリントンもの。ひさしぶりに全部読み直し。楽しいすぎ。
昔は、あまり小説の読み直しはしなかったんだけど、最近はどっちかっていうと新しいものが苦手になってきて、読み直しの方が多くなって来たかも。単に新しいものにとっつく気力がないんだろう(苦笑)。
今回の読み直しは、どちらかというと退屈なヘイブン側の記述はかなりざっくり読み飛ばし気味にして、艦隊戦の醍醐味を味わって。くぅ。
ってなわけで、続き続きっと。

PDAは死んだ。

[ ITmediaモバイル:PDAが生き残るための道 ]
日本市場において、なぜか携帯にPDAを載せたいわゆる「スマートフォン」が発売されないのはなぜだろうか?
多くの場合の答えが、この記事の中に内包されているが、逆に言えばその主たる問題の多くに関わっている人々が、まるで他人事のように問題点を語っているのが、茶番めいて見えるのは僕だけだろうか。
日本において、これ以上PDAがPDAとして進化し、広く受け入れられることはありえない。ビジネスソリューション用途としてのPDAも、あまり将来は明るくない。
結局営業マンは特定業務以外にもCPUのパワーを必要としているし、PDAとPCを両方持って歩くくらいなら、PC1つでいいじゃないか、という論点に立ち戻りがちだ。
また、携帯電話のキャリアが「うん」といわない限り、PDAと無線通信が現実的に一体化しないことも忘れてはいけない。
いずれにしても私見としては、ただただこう言わずにはいられない。
PDAは死んだ。

夢見る頃をすぎても。

いまだに休日などで二度寝の遅寝をして見てしまう、いやな夢がある。
夢というか、まどろみの中で感じる意識というか感情で、僕は高校の授業に行かないといけない、という状況にある。僕にとって高校時代はこれっぽっちも楽しみがなく、毎日毎日ただ授業を受け、友達と時間をつぶしていただけの日々だ。その瞬間「ああ、行かなくちゃいけない」と考えている。だが、心のどこかに「もうすごい長い間行っていない気がする」という感情がある(当たり前だ)のか「もしかしたら除籍とかになっているのかも」なんてことも考えている。「うわー、お袋に怒られそう」とか。
「でもあれ?卒業しなかったっけ?」「卒業・・・式に出た憶えがないな」「したような気もするんだけどなぁ」とまどろみの中で思考が進む。
いずれにしても、どんよりした気分だ。
それもこれも、つまらない高校時代と、その高校の卒業式に関する確固とした記憶が残っていないということが、原因に他ならない。
そう、高校の卒業式の記憶がないのだ。
いや、卒業はちゃんとしているし、卒業式の記憶もゼロってわけじゃなくてね(笑)。でもこう、ああいうことがあったなぁ、なんて思い出してほくそえむようなことがまるでないのだ。
いまさらやり直せるわけでもないので、今後も何度か見ることになるんだろうな。
トホホ。