漂流すべきもの

したたるGカップ、ギリギリ限界に挑戦、COBYです。
朝の5時に腹を空かせて暴れるのがウチの猫なら、夕方の5時に腹を空かせて暴れたくなるのが飼い主です。
はらへった・・・。
先日、何度目になるのかもうわからないけど、何度目かの発掘調査を敢行。いや慣行かもしれん。
ついに!ああ、ついに見つかりました、ありがとう発掘の神様(誰だそれ)。長らく捜し求めていたあれやこれやが。ついでにまずいやのだんなから借りたら、「もう返さなくていいから」と半ば押し付けられた感さえある映画「フレッシュ・ゴードン」やらまで。誰かみたい人がいたら、貸します。ただし当方VHSのみ、手渡しに限る。
斉藤由貴の伝説的オリジナルビデオ「漂流姫」も同じくVHSで見つかったが、やはり只者ではなかった。市川準監督作品というだけでなく、音楽はなんと板倉文氏。挿入曲には、ほのかにどこかで聞いたことがあるような・・・と思ってよくよく聞いてみたら、なんと小川美潮さんのライブで演奏されていた○○○○(あとでちゃんと調べてから書き直します(笑))に酷似。たぶん、根源を同じくするものなのでしょう。
それと、愛用していた低周波治療器(笑)も見つかり、ハッピッピ。
あなたも私もハッピッピ♪

ビニール傘で。

青、また青、COBYです。
最近、何かのニュースサイトの相談コーナーで、娘だか息子だかの通っている学校(中学)の定めている校則が不条理で納得できないという親の相談が載っていて、へぇ~と思った。相談の内容は、ビニール傘でないと学校に持ってきちゃだめだと言われたとか、それで薄いピンクのビニール傘を持たせたら、色つきはだめだと取り上げられたとか、ただのイジメでは?と思いたくなるような内容で(笑)、いや笑っちゃいかんか、当人たちは真面目なのだろうから。で、それに対して回答者が「珍しい学校だ。最近は80年代にあった校内荒廃化に対抗した厳しい校則は、反発を招く上に教師の労力を無駄に消費することから、最近ではほとんど見受けられなくなって、自由化している。親同士で話し合って、学校側にかけあって。」というようなこと(僕の読んで受けた感じ)を言ってたわけですよ。
まあそれはそれで、こういう相談とこういう回答であったわけですけど、なんかさ・・・その80年代に厳しい校則を受けて育ってきた人々(僕も含めてだけど)に対して、補償しろとはいわないけど、何か一言あってもいいのになぁ、と思ったワケですよ。当時は当時でそれが正しいということになってたんだから、ということもあるけど、なんかさ・・・まあどっかの60年以上前のことをいつまでもウダウダしている関係と同じな感じかもしれないけど(笑)、あの頃、天然パーマの髪を工作用のでかいハサミでじゃきじゃき切られた学生とか、体育教師に馬乗りにされて髪を黒く染められた天然茶髪の子とか、みんなの前でボンタン(笑)を脱がされてパンツ一丁にされたヤツとか、カバンにステッカーを貼ってるからって中身も入ったままで窓から放り捨てられたヤツとか、いたわけじゃないですか。今だったら逆の意味で大問題になりそうな(笑)。
そういう人たちがいたってことも、ただ「あの時はあの時」ってことで片付けておいていいのかなぁ・・・、と思ったわけですよ、まあざっくりと。
逆に言うと、教育者とか政治家とかいう人たちは、過去のことはしっかりとケアする必要を、もうちょっと感じたほうがよろしいんじゃないですか、ってことでもあるわけですが。

目覚めよ

目覚めよと呼ぶ声あり、COBYです。
めちゃくちゃに眠いのはなぜでしょうか。
まさか毎朝5時になると部屋中をかけずりまわる者がウチにいるからではないと思うのですが。
僕は新聞社系ニュースサイトをぐるりと回っているので、紙媒体の新聞はもはやまったく意味がなくなってしまって、購読しようという気にもならないのです。ほかにもサイトに載らない記事も多いのですが、それは逆に言うと僕の中では新聞紙面でも読まない記事に他ならないから、かまわないのです。
それにニュースサイトだけ見ているわけではなく、各種ポータルサイトやニュース系ブログ、Wikiなんかをべらべら見ておけばいい感じ。いや、別にみんなそうしろということではなくて、僕はこんな感じです、という話です。
んでもって、ニュースサイトに求めている紙面(画面)は基本的に、読みやすい文章であることはもちろん(某ニュースサイトはテレビ放送の原稿をそのままのっけてるので口語体。激しく情報量が少なくて、使い物にならない(笑))、そのニュースと同じカテゴリーの最新記事一覧と、そのニュースに関連するニュース(同種の事件だったり、一連の報道だったり)が羅列されていること。
現在でいうと、朝日新聞のasahi.comが大体そろっている。でも、asahi.comはこの春から3カラムになって、見づらさが増した。それも右に2カラム、同じようなガイド系コラムが並ぶので見づらさが他の比ではない。たぶん、記事の量に比べてガイド系の情報が多すぎて、下に行くほど読者の目に触れなくなっていくためだとは思うが、僕は逆にブラウザの横スクロールを必要とするような横幅で出されると、はみ出している右側はほとんど見なくなるので、同じことなんじゃないだろうか、という気がする。
逆にこれまであまり不満がなかった読売新聞のYOMIURI ONLINEが先日刷新、なんか1~2年前のasahi.comみたいになっちゃった気が。つーか色違いなだけ?(笑)2カラムで文字は読みやすいが、記事ページには同カテゴリー記事一覧も関連記事一覧もナシ。うーん、表紙に戻ったりわざわざ一覧にジャンプするの面倒なんだけどなぁ・・・。
最近目立って増えてきているのがGoogleのAdSenseを使った広告を出しているサイト。AdSense自体は僕も某サイトで利用しているものなので、別におかしいともなんとも思わないが、読売や朝日などの大手新聞社や雑誌社系のニュースサイトで、AdSenseってのにはどうも違和感がある。
もともと大掛かりなバナー広告を展開していたり、バナー広告会社のサービスででかでかと張り出しているうえに、AdSense。記事面を減らしてでも広告を増やしているけれども、それでいいんだろうか?って気が。そもそも本業である程度の利益をもっているわけだし、サイトで独自に広告収入したいなら自分の営業力を使って広告を勝ち取ってこいよ、と思う。本業じゃないのか、それが(笑)。
そもそも記事を押しのけるように広告が入ってくるのはいかがなものかという感じ。もうちょっと考えてデザインしてもらいたいなぁ。
*追記2005/05/18*
YOMIURI ONLINEでは記事部分で同カテゴリーの最新記事一覧を表示するようにしたもよう。一時的にOFFにしてたのかどうかは不明だけど、まあ現在調整中という感じですかね。

夏が暑いのは困るんです。

国境を越えたサマセット・モーム、バーイ河合その子。COBYです。
まず間違いなく指摘しておかなければならないのは、もう5月も半ばだということです。
うんざりするあの夏がまたやってくるわけですよ貴方はどう考えているかはわかりませんがっ!(はぁはぁぜぇぜぇ)
夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬、遠い空。
つーか、避暑というものをしたことがない貧乏丸出しの私ですけどね、避暑っていうのはあれは本当に涼しいんですか?本当に涼しくもないのに避暑って言えるんですか?
誰か僕に避暑をください。いや、いらないけど、そもそも生まれ育ったところは年中避暑みたいなもんで、梅雨の時期もろくすっぽ雨が降らない(名目上は本州なので名目上梅雨入りなどはあるのだけど)うえに、夏になっても30度行ったらオオゴト、みたいなくらい田舎なので「避暑」も「秘書」も見たことも触ったこともない、という人ばかりです。その分、雪とジジババはうんざりするほど居ますけど。
ゆーか、なんの話だっけ。そうそう、梅雨とか猛暑とかはそろそろ法律でなんとかするべきです。
都内に6階を越える建物を建てる場合は、1階ごとに5億円くらい徴税して、それでヒートアイランド対策するとか、そもそもすでにある6階を越える建物は全部削っちゃえ、とか。そのほうが、地震があっても安心でしょ。それと、道路もアスファルトを全部はがしちゃって、土をむき出しにしちゃえ、とか。東京をあの焼け野原の頃に戻してしまいましょうとか、そうなると手っ取り早いのは○○○にミサイルを撃ってもらってドーンとか、やばいやばい(汗)。
ジョーダンです。マイケル。

思い悩む。

思い煩うことはない。人生に意味なんぞありはしないのだ。COBYです。
引用はサマセット・モームの言葉からです。
無理解に苦しむ人がいて、無理解が理解できない人がいる。その渦中にありながら、そのことそのものに気づかない近視の人は、人生のなんたるかということをそもそも考えもしない人であり、人生という言葉が存在することさえ知らないか、あるいは生きてさえいないに違いないと思っています。
無理解に苦しむことは、たぶんまともな感性と人生観を持った人にとって避けられ得ない事象なのでしょう。それはつまり、あなたのその悩み事そのものもまた、仕方ないのではないかという思案です。まさに、サマセット・モームがいうように、思い煩うことをせず、あきらめてしまいなさい、ということです。
人生に意味がないとして、しかしそれに意味を求めているからこそ、思い悩むことになる。思い悩むなといわれても、思い悩むべくある今にあって、それが意味をもたない答えにこそ通じているのだというのは、酷な論拠で、到底受け入れがたいと思うでしょう。だけど、確かなことは、理解のために必要なのは、まず理解であり、理由は必ずしも必要がないということです。理解することと、理由を知ることは、何かの答えの別の側面ではないのです。まったく別の事象を説明しているものなのです。たぶん。

創造と不条理の世界

時間が全て解決できると思ったら大間違いだよ、COBYです。
先日、なぁみんちゃんがご懐妊されたということでやれめでたいのぉと思っていたのだけど、やっぱり身の回り(というほど身の回りにそれほど近くもないのだけど)で出産される(あるいはこれからする)方が多いんでない?という気がしないでもない。と、いうと某夫人は「つーか、年相応でそういう世代になったっつーだけでしょ?」というのだが、そうか?だってそもそもワシの同級生というような人たちばかりでもないんだから、という感じも。
ココ最近というか、1年の間になおちゃん、ともこぶたさん、ゆきちゃん、そしてなぁみんちゃんときたわけだが、この2年くらいに広げるなら札幌の某バーテンダーや某社の秘書さん(スタトレ友達)もいるし。はっきりいって友達の少ない私としては(笑)、その半分くらいがこの2年くらいの間に出産したんではないかと思えなくもないくらいだ(笑)。面白いから、この際残りの半分もがんばってくれたまへ。
吉野朔美の名作「月下の一群Part2」で「キリコさん」が自分の本当にやりたいこと人に必要とされている能力について悩む「毬花」に向かって言うセリフ。
「だってねぇ、子供を産む以上に創造的な仕事ってないと思わない?もしあなたがそれ以外の心躍らす何かがほしいというなら、それはたとえ30歳になっても40,50になっても」「見つかる時に」「見つかるものだわ」
イや別に、子供を産むか、それ以外の何かを見つけろと強制するつもりはないけれど(笑)、たぶん人生における喜び(あるいは心躍らすなにか)とはつまり、そういうものなのだろうな、と。
ぼんやりとそんなことを思ってみる。
ルネは寝てる。ていうか、寝すぎ。それで朝4時頃に騒ぐのが最近のパターンらしく、僕は寝不足になるんだよね。不条理だ。