いつかきっと

ヤフー!BBの情報流出で逮捕者やなんかがボンスカ出てるわけですけどね。
ヤフー!BB側のセキュリティの甘さも話題に上ってて、なんかすんげーずさんすぎて、ありえないんですけど?(笑)数十人からの担当者が1つのアカウント/パスワードを共有してて一度もそれを変更したことがない、ってそれはセキュリティなんかありませんでしたよ、といっているようなもんじゃないか(笑)。
引き出して恐喝したヤツが悪いのはそりゃもう当然だけど、こういう事態を引き起こす原因を作った人も逮捕するなりしたらどうです?てか、著作権法違反の幇助で逮捕される人がいるんですよ?個人情報の違法な収集とそれを基にした恐喝の幇助、あるいは特別背任でもいいや。
この犯罪的な所業で、本質的な被害者である顧客には500円の商品券1枚。
社長交代くらいしたら?(笑)

うまいメロンは食べたいが、チャルジョウはあまりに遠い。

日本では、軟らかくて多汁、芳香が強く甘味が濃厚なのをよしとする傾向にあるのですが、メロンが欧州とアジアに分岐したあたりで、今なお非常に多くの種類のメロンが栽培・消費されているトルクメニスタンでは、身の硬いものや、香りだけを楽しむ非食用のものなど、いろいろなタイプのメロンがある。
身の硬いものといえば、プリンスメロンなど懐かしい種類にはあったりするんですが、なかなか今は見かけることもなく、あるのはどちらかといえば高級品種で何かこう不満にも似たものを感じていたわけで(笑)。
そんなとき、遠く熊本から吉報が。
なんと、硬いタイプのメロンが近年よく栽培されているらしいのだ。それはメロンドームにあるという。なんというポップな建物。感動だ、官能だ。これは期待できる。
写真などを見ると「サクサク」っとした感じがする。むむむ、かなりそそる。オレのメロン魂に火をつけるぜ!!(意味不明)

ということで、お取り寄せさせていただいて、本日がっつり食べました。サンプルでみてた写真より、ずいぶん熟成が進んでいたみたいだけど、それでもすっごく身が詰まってて甘みのある果汁がすごい!むむむー。日本農業恐るべし!
ってことで、皆これからは「うまいメロンは食べたいが、メロンドームはあまりに遠い」という慣用句を使おう。(って表題の慣用句、使ってたのかよ>自分)

蒼天航路(31)

ネオ三国志も31巻続けばもうスタンダードに近いかもなー。
このマンガの美点は、作者の意思があまりぶれないで画に反映されている点ではないかと思う。
原作や何か下敷きになるものがあるようなマンガの場合、原作者や下敷きにしたものの意思と画家の意思との微妙なズレが生まれて、それがよい効果を生んだり、あるいはもうリズムが狂いっぱなしで大変、っていうようなことがあったりする。この場合、もともとの原作者であるイ・ハギン氏が急逝して、画家であったはずの王欣太氏が原作部をそのまま引き継いだという経緯がある。当初は多少型破り的ではあるものの、マンガとしてのストーリー展開はごくわかりやすい範囲で進んでいた。引継ぎ後はその型破りさに拍車がかかり、よい意味で王欣太氏のブロークンでパンクなストーリー展開が「蒼天航路らしさ」のようなものを生み出している感じだ。

あとがきにもあるように、物語は終盤を迎えている。
司馬仲達が舞台に登場し、劉玄徳が漢中に侵攻する。これからハン城の戦いに向かい蜀が立ち、正に三つ巴の勢力が激突し、英雄が死に、乱が生み出されていく。その終末に向かって、王欣太氏の怒涛の筆を期待している。

weblogなんて

weblogなんてくだらない、みたいな話を聞いた。
そうかなぁ?くだらないっていうなら、僕をくだらせるほどのものを書いてくれれば納得するのに。
ゴミみたいなのが多い、というのがその主張の根幹にあるようだったが、そもそもウェブ上に散らばっている情報の8割がたはゴミじゃないのか、weblog以前から。
weblogというのは、つまりは仕組みでしかない。CGIでしかないはずだ、ということを、以前に別の人に言った。weblogという仕組みがつまらないblogを生み出すのではなく、単に書いている人がつまらないだけだ。その人が書こうと思ったとき、ただそこにあったのがweblogであり、もしweblogがなければ、HTMLで書いたか、ジオシティとか楽天とかの簡易エディタを使ったんだろう?ということだ。

そもそもweblogってなんなの?という人もいる。
そんなこと知ってどうするんだろう?そういう人は「そもそもHTMLってなんなの?」とか「そもそもWWWってなんなの?」ということに対して疑問は持たないのだろうか?あるいは解決済み?ならweblogについて疑問をもつ理由なんてこれっぽっちもないと思うのだけど。
僕はweblogをここにインストールして大変助かっている。仕事柄HTMLも書くけど、やっぱり結局のところ面倒くさい。HTMLを書いて、ローカルで確認してFTPでアップロードして、またブラウザで確認する。面倒くさいでしょ、どう考えても。それに比べて、CGIによるコンテンツ吐き出しの仕組みは、テンプレートになっている部分が自分好みになってさえしまえば、あとはただ書きたいときに文章を書いてプッシュするだけで、HTMLになったり(CGIから直接の場合もあるけど)するわけだし。
そして、僕が逆に疑問に思っていたのは、HTMLだけでつらつらと書いているウェブページの情報量の少なさと、検索性の悪さだ。数百文字にもならないHTMLや、そのほとんどが画像に文字を書き込んであるようなウェブページに出会うと、なんだかHTMLである必要もWWWである必要も感じ得ない。画像ばっかりのウェブページってナニが困るって、検索サイトのキャッシュにでさえほとんど残らないから、検索結果として邪魔なんだよね。
ある個人の意思表示や感想、観測というようなものがひとつながりに参照できて、そのほとんどがHTML化している、それがさらにTrackBackという形でリンクされている状態、このweblogによって築かれつつある新しい、まさに「web」は、情報の検索性において、原始の形であり、同時に究極的な進化の形態のひとつであると思う。
また、過去、まさに「マイ・ホームページ」を持った人々の経験にあると思う「リンクさせていただきました」的結束感の、微妙な閉鎖さ。結局はある程度友達、ある程度同好、ある程度同類的側面を持ったもの同士が「相互リンク」をしていることによって、リンクで訪れた先も、あんまり内容として違っていないページだったりして、ちょっと見る気を失くしたりして。
また、コンテンツと掲示板が分離していることにより「コンテンツのあれについて聞きたいんですけど」という書き込みと「全然関係ないんだけど、今度のみに行こうよ」的な内輪受け書き込みが入り混じった状態の掲示板が生まれ、自ずと一見さんが遠ざかっていく結果で。
あるテーマについて誰かがEntryを出す、それについて軽くコメントしたり、また自分のweblogでトラックバックして話題が膨らんでいく、それがweblogのよいところであって、ある意味では過去の「マイ・ホームページ」な空間のちょっと狭い世界観を打破しているところであると思っている。

関係ないことが書けない、って言われたこともあったけど(笑)、それは当然というか「関係ないことはメールででも」ということでいいじゃん?という肝。関係ないことだったけど、多いに他の人にも関わってくることなら新しいEntryが立つだろうし、そうでなければそれまでのことだということに過ぎないし。

あんがい多様な範囲にweblogに対して批判的な意見があることに、ちょっと驚いた。
いままでのこと、現在のこと、これからのことについて、wwwの世界を理解しているなら当然でてくる疑問、それらを簡単に解決しようという方向性を否定するのは、なんかピントが合ってなくない?

にじゅうよん?

僕だって一応、24とか見てるんですよ?

ってわけのわからない入り口。
私の名前はジャック・バウアー。大統領候補暗殺計画が進行中。
ってゆーか、きっとバウアー君、汗臭いんだろうなぁ、とか思いながら見てますが。
あれだけの殺人的スケジュール(つーか、24時間の間にイベントありすぎ)でずっと動き続け考え続けて、よく生きていられるな、という感じですが。
実はまだ19話。これからですよ、これから。

100年前の清酒を堪能 酒類研究所の創立記念で

[ 長崎新聞社:FLASH24:暮らし・話題/100年前の清酒を堪能 酒類研究所の創立記念で ]

雄町を1割5分搗きして、当時の菌や酵母と地元の井戸水を使って作った、100年前風の清酒で試飲会。
いいなぁ、飲みたいなぁ。
最近の淡麗ブームにはちょっと飽き飽き。
どの日本酒も同じような感じ。幻の酒が本格清酒の4割くらいを占める勢いで(笑)、後は過去の名声におんぶに抱っこなもの。つまんないですよ、どの酒も。
100年前風の酒は、薄い黄色で酸味があり、濃厚な辛口。
木樽仕込みの清酒が発売されたとかいうニュースもそういえばあったな。たまにはそういうのもいいんじゃないかと思う。杉香が強くて、酸味があって、飲み口の強い、ぎっしりとつまった感じの日本酒。