のんびりの中身。

てなわけで、フラフラと関東圏某所にて、まったりしてきました。
というか、山間なので花粉が心配だったんですが、あんまり激しくはならなかったデス。というのも、ほとんど雪が降っていたから(笑)。
行ったのは、実は会社が入っている健保の、保養所というヤツ。
ウチの会社はさておいても、加盟している他の会社がIT関連企業のトップクラスがぞくぞくで、しかもこの業界というのはまだ年金生活者をあまり抱えていないのがポイント。他業界の健保が、高度経済成長を支えた人々の年金にきゅうきゅうとしているのに対して、80年代以降に雨後の筍のごとく立ち上がった業界ゆえ、とにかく平均年齢がまだ40代とかくらいで余裕のよっちゃんなんですね。
なので、その余裕が保養所に現れていて、無駄にありがたいくらいに銭がかかってます(笑)。過去に行ったことのある人も、料理の量と質に感動したとか、部屋が無駄にありがたいくらいに広いとかいう話をしています。
抽選式でなかなか取れないという予約が、運良く取れた(というか、その保養所のある地域的にはオフシーズンだったっつー話もある)ので、行ってきたという寸法。
料理はちと「イタリアン」というよりかはかなりコンサバティブなものだったけど(笑)、うまいことはうまい。せっかくのイタリアンなので、ワインもイタリアン、トスカーナのルーチェ・・・のセカンド(笑)ルーチェンテに。ワインの方がすこし勝ってしまった感があるけど、楽しくおいしく過ごせました。シェフの趣味なのか?妙に燻製物の味が突出していて(笑)、「シェフは燻製マニア?」という疑惑が沸いたのだけど、それはさておき。
温泉もあるし、部屋は噂通り無駄に広いし、空間としてヒッジョーに快適。部屋数が実質10部屋しかなく、人を見かけることもほとんどなく、スタッフもうろうろしてなくて、まるで自分たちだけが泊まっているみたいでした。子供づれもいたけど、部屋にいる間、その声がすることも一切なかったし。
これで二人で、普通のホテルの一泊一人分の値段で済むんだから、文句のつけようがない(笑)。
旅としては前後に適度にベタベタの観光地を入れて(笑)、かなり余裕のよっちゃんでふらふらしてきました。というか、雪が降ってて、あんまり強行しようという気にもならなかったというか(笑)。しかし、全体的にその雪のおかげで、観光客が少なくて、楽でした。ありがたやありがたや。
てな感じでまったりしてきましたよ、と。

本日は

札幌スープカレーのお店、 カレー食堂『心』に行きました。旅行帰りでそれですか?ってウワサもチラホラでしたけど。
ううむ、おなかいっぱい。くるしい。
写真は、ベーコンとキャベツのカレー、辛さ5。一灯庵とは比べるべくもなかったが、これはこれで美味い。『心』のほうが一般的に言う「カレー」というニュアンスに近いと思う。
ただし、スープカレーらしく具はバラエティに富んでいて楽しい。ベーコンとキャベツのカレーには、それ以外にゆで卵、揚げたじゃがいも、人参、ピーマンのスタンダード野菜のほか、大豆、ヤングコーン、いんげん、トマトなどがごろごろと入っている。
うなは納豆とオクラのカレーで、ぬるぬるを満喫(笑)。こちらは、メインが野菜類なので、いっそうヘルシー。具はオクラと納豆に、スタンダードの野菜とゆで卵。納豆はきざみ。
ご飯は白飯で、大盛りまでは無料、特盛り、おかわりは150円。辛さが100段階あって、僕は一般的な辛口が3番らしいので、5番。うなが6番だったが、オクラと納豆のおかげで辛さが和らいでいて、具による辛味の都合もあります。でも、僕はこの5番が限界ラインあたり(笑)。これ以上は食べれなくもないけど、自主的に選ぶことはなさそう(笑)。
主観的な総論としては、先に書いたとおり「カレー」らしい感じ。スパイスの複雑さはあるけれど、スープカレーの「印象的ヘビー感」は薄いかも。ある意味、店内のさっぱりとしたスタイリッシュさのせいでもあるかも。東京圏で先輩格になるマジックスパイスなどのあやしげさ(笑)から「ここって本当にうまいのか?」と思わせるのも、スープカレーの世界には必要なものなのではなかろうか、などととりとめもなく考える。
うまいかまずいかでいえば、うまい。けど・・・僕には何か一つ「!」と思わせるものがなかった、ということかな。
おいしかったけどね(笑)。

のんびり。

とか、なんかやたらに説教臭いおっさんと化している私ですが。
そんななか、ふと(といいつつかなり用意周到に)旅に出ることにしました。
といっても、関東圏ですけどね。ちと、うまいものでも食べて、静かなところでのんびりしてきます。
メインは食事。ホテルとしては特色のないところなんですが、とにかくイタリアンの食事がすごいらしい。楽しみ。

誰か一人の問題ではなく。

[ 自転車用、歩行者用 / IL SOLE DEL CUORE. ]
またこれも、以前、blog化する前の日記でも書いてたような気がするんだけど。
かつて、同様のことを自転車好きを自認する友人に嘆くと、その友人は「自分はそんなことしないから」と答えたものだ。そういうことではなく、自転車と呼べるすべてのものに乗っている人は、いついかなるときも歩行者に危害はもちろんのこと、危険と感じさせることさえも行わないと感じるべきだ。
我が友人にせよ誰にせよ、自転車を趣味とし、また通勤・通学の手段とし、生活の糧の一部とでもしている人は、これらのことを自分のこととして考えるべきだ。
歩道を走っている自転車は、まるで自分が優先されるべきかのように走る。だが、これは間違いだ。歩道とは「」道であり、行者のための道路だ。1978年、増え続ける自転車の車道走行による事故の緊急避難的対策として、自転車が歩道を走行することを黙認するとしたにすぎない。まして、この際に定められた「自転車歩道通行可」の標識がある場所だけ、という規定を自転車側がなし崩し的に全歩道で走行しているにすぎないのだ。
歩行者がいて通れそうにない、あるいは危険をはらむ場合には、自転車は車道に出て走行するべきである。警笛・ベル等を鳴らしたから歩行者にぶつけてでも通るというのは噴飯ものだ。実際、私の通勤の途中にある高校の、自転車通学をしている学生たちは、そうしないと遅刻するから、と言わんばかりに連なって、歩道を強烈なスピードで通りぬけようとする。歩行者は敢えてその高校の壁にひじも擦り付けんばかりに寄って歩かなければならず、時にはその自転車同士が追い越しをし合い、歩行者にぶつかっても、まるでスラローム走行でコーンにぶつけてしまったかのような顔をして過ぎ去っていく。正常な交通教育がされてるとはとても思えない。ちなみに、その高校とは都立富士高校だが。実名。
また、車道を走っている自転車でも、信号を無視することが多い。
特に、横断歩道の信号が青になった場合、車道は信号が赤になるわけだが、自転車は停止線を守らず通過したり、あるいは右折して横断歩道を渡ったりする。横断歩道にさしかかる歩行者が、危険を感じることが多いのは、何も歩道を走行している自転車だけではなく、傍若無人に信号を無視する自転車が、非常に多いからだ。この自転車による信号無視の確率は、体感であっても明らかに自動車によるそれよりも多い。
当然、歩行者に罪がある場合もある。傍若無人な違法横断や歩道占有、急な進路変更などがある。
逆に言えば、自動車でも自転車でも歩行者でも、罪となる行為をしているのだ、ということでもある。
「お互い様」という意見は当然だし、私もそう思う。だが、そういう総論での論議は意味がない。
実際に法を犯しているものがいて、危険にさいなまれている人がいるのだ。

しくみ

[ 共同通信 / 病室受信料でヒアリング NHKは欠席、文書回答 ]
以前から、著作権絡みのことやら酒税法のことやらなにやらで、何度か似たようなことを言ってきたけど、いや、それで何かが変わるとは思っていないけど、なんかまた繰り返されているんだなと。
NHKは「テレビ1台につき、1契約」といいたいわけだな。
でも、視聴者は(あるいは貸しテレビ業者は)「見ている、という行為に対して受信料を払う」という姿勢でいるわけで。
NHKの論理は、やっぱりまともに視聴者の気持ちにフィットしてるとは言えまい。そも、テレビ1台につき、という論理が、家庭での複数台所有や小型携帯式テレビ利用者、例えば最近であれば携帯電話についたテレビ受像機、PCに全チャンネル録画を目指して複数枚のチューナーカードを挿しているのはどうだろう、ということに対して、きちんとした対応をとっていないことからみても、崩れているとしかいえまい。規定を厳格に運用していないのに、ある場面では厳格に運用しようとする姿勢は、ともすると「弱いものいじめ」のようにも映る。だから、NHKとしても厳格にできないんだろう。
NHKの受信料が、テレビを持つ国民すべてが請け負うべきものなら、やはり税金として国が集金するべきだ。でなければ、受信料を支払っていない受像機ではNHKの映像が映らない仕組みを作るべきだ。
何十年も前の規定をだらだらと無為に、現在の(すでに大きく変わってしまった)社会構造の中で当てはめようとしても、ただ反発を招くばかりで有益とはいえない。
変化すること、それは「しくみ(=システム)」にあらかじめ与えられている運命だ。

ゼロゼロ

人事部長が、履歴書みたいな紙を指差しながらこう聞く。
  「なあ、これゼロゼロかな、それともオーオーかな。」
できれば日本語でしゃべってもらいたいのだが、その紙を覗くと、そこには
  saitoo@mailadd.ress
と書かれている。もちろん、ここに書いたのは例えで、本物は別。
で、部長が指差しているのはsaitooのooのところ。当然、いまここでは小文字のオーを2度繰り返して書いてあるのだが、その紙面では手書きだ。
最近、でもないか、ずいぶん前から、メールアドレスがあったら記入してね、みたいなアンケートや、何かの懸賞のはがき、履歴書やなんかの類が結構多い。
こういうのって、受け取るほうも苦労してないのかなぁ?ゼロとオーの違い、大文字のアイと小文字のエルと数字の1、アンダーバーとハイフン、チルダと全角文字の~(波形)、カンマと小数点など、手書きにすると判別に困難な文字はけっこうある。それを度外視しても、効果があると考えているから、情報として書き込ませているのかなぁ。
しかし、部長のように悩んでる人もいるわけで、人事部長のように「この人に連絡したい!(採用したいから)」という理由で、その連絡先にそういった問題があると、ほとほと困るんだろうな。
エンジニアの類の人は、ゼロを丸に斜め線をひき、オーを丸の上に横線を引くことがある。多い、とはいわないが、誤認しやすそうだ、という場合にはあえてそうすることがある。大文字のIも頭部と底部の横棒を長くしたり、認識性をあげようとする。
とはいえ、相手の多くは素人さんだし、全国民的理解がないかぎり、どうしたってこの問題は続き続けるだろう。
だから、個人的には手書きのメールアドレスを情報として収集するのは反対だ。書かされるときも、なんだかイヤな気分を味わいながら書いている。できれば書きたくない。自分のアドレスの多くに、オーが多いからでもある(笑)。
とりあえず、部長は「オーオー」として送信することにしたらしい。でも、それで他人(本人はゼロゼロかもしれないが、だからといってオーオーのアドレス取得者がいないとは限らないから)に届いたら、それって個人情報の流出のようなもんじゃないのかなぁ(笑)。だって、人事情報だもんね。