蒼天航路30巻

川本喜八郎の人形以来、三国志のファンだけど、物語として一番面白いのはこの「蒼天航路」かもしれんなぁ、という気がしないでもない。
30巻、まもなく終焉という気配がしないでもない。実際、内容もかなりスピードを上げている感じ。
まあ三国時代っていっても、実際に劉備・曹操・孫権の三人が三つ巴になっていたのはごくわずかな時代で、三つ巴になるまでがながく、三つ巴が崩れはじめてから完全になくなるまでが長い話なんだよね。
蒼天航路はその中でも曹操を中心に据えた物語。
かなりこなれた人物設定が読み手を大人に限定してくれている。多少勢いや、後々のことを考えない描きようもあるけれど、それはまあ「エンターティンメント」という姿勢でみれば許せるかな。
「演義」ではどうしてもはしょられていた部分などを掘り起こしている点でも読み込みを求めるが、逆に「お決まり」的「お約束」的な部分でかけているところもあり、ちょっと違和感を感じなくもない。○統(○はマダレ广に龍)がなぁ・・・(笑)。
ともあれ、最後まで読み通したい逸品。

プラネテス4巻

プラネテス、4巻を買って、あっちゅうまに読みました。
えらい勢いで売れてますね、最近。アニメ化されたことも驚きですが、いい勢いでファンが拡大してて「ほえー」と見送るような感じです(笑)。
すごく現代的(というのもなにやら可笑しいですが)なキャラクターたちとセリフが、世代にフィットしているんでしょうねぇ。いろいろファクターはあるものの、こういう形でSFが浸透しているのはいいことだなぁ。
(って何者だい、わたしゃ:D)
やっぱあれ?人間がどっかにもっているモヤモヤした「何か」を、あたりまえのように俎板に載せてチクチクといじってみる、このノリかなぁ。単にテクノロジーや情報としての革新性だけでSFが語られる時代は、もう遠い昔なんだな、きっと。
さよなら、ジュピター(笑)。

80年代的懐古趣味から

[ 坂本龍一、映像に衝撃受け音楽参加 ]
アニメ映画「APPLESEED」の音楽に、坂本龍一を迎えることに。
ここのところの士郎正宗の売れっぷりは、なんともすさまじいいものがあるねぇ。「攻殻機動隊」関連も続々、こうして「アップルシード」も大型製作されて。
かつてのアニメマニア、あるいはマンガマニアは、心のどこかで「士郎正宗作品をアニメ化するのは無理がある」と思っていなかっただろうか。そもそも商業ベースにのらんだろう、という気持ちもあることはあったけど(笑)。
しかし、このCG全盛の世の中になり、士郎正宗の描く世界も満更嘘ともいえなくなりつつある気配もあり、あるいは映画「Matrix」の監督ウォシャウスキー兄弟がその「Matrix」の下敷きにしたと公言したこともあり、一気にヒートアップした感がある。
ただいつも見ていて思うのが、いや、そもそもここ最近の士郎正宗自身の著作でもそうなのだが、CG、あるいはコンピュータ補助による画像作成の結果、ある意味ひとつの持ち味だった「怒涛の描きこみ」あるいは「過剰な線」が薄れている感じをもつことだ。
そんなのは80年代的懐古趣味だわい、と言われそうな気もするけど(笑)。
まあね、このすべてCGによる表現系の確立こそ、士郎正宗のまさに舞台なんだろう、と納得して、あきらめることにしておこう。老兵は死なず、ただ消え去るのみ。

カプリチオーソ♪カンタービレ!

いまさらかもしれないがのだめカンタービレだ。
二ノ宮知子といえば、私にとっては「平成よっぱらい研究所」に終始していたのだが、ここ最近(結婚&蟄居してから?というもの)、2000年~2001年に講談社から「GREEN」、つづいて同社より「のだめカンタービレ」をコンスタントに連載。それまでの流行を追ったつもりまがいの「ギャグ」マンガとは違う、スコンと抜けた「コメディ」を生み出している。
のだめカンタービレは以前から気になっていたのだが、講談社のComicsKiss自体が微妙にマイナーで、単行本がそろっておいてないという点で手を出しそびれていたのだ。のだめカンタービレそのものの売れ行きがよいのか、最近では書店でも全巻平積みというところも増えてきた。
ストーリーとしては、このまま続けていくにしても最後の最後はどうなるんだいったい、と若干の不安は持たざるを得ないものの、まあそれもこのマンガに期待すべきことではなかろう、と無理やり自分を納得させてみる。
うん、なんか破滅的なキャラクター揃いの割りに、一話一話はあんがいすんなりとまとまっているところがいい。繰り返されるあるモチーフもおかしいし(笑)、いったいネームの段階で編集担当者はどういうつもりでOKを出すんだろう、と想像すると、おかしくておかしくてしょうがない(笑)。
そんな、かなり微妙な限界の線で、フラフラと歌っているのだめが楽しい、という感じで。

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エマ、あるいは中途半端なため息。

はじめはオタクの萌えあがった魂が溢れ返っちゃってるアイタタタとしか言い様のないものなんだろうなぁ、という風にしか見えなかった。表紙はね。
やっぱり昨今の書店の多くが取り入れているビニール等による保護をのせいで、書店でばったり出会ってしまった本を買う、ということがめっきり減った。特にマンガに関しては、雑誌に掲載され、後に単行本化されるのがあまりに一般化しすぎており、保護ビニールが特に売れ行きに影響を与えると考えていない節もある。まあ、たぶんそうなのだろうけど。
僕のように雑誌はほとんど読まない、という人も世の中にはそれなりにいるだろうに。
そんな書店の平積みに見たのが「エマ」の第3巻の表紙だった。
森薫という作者も知らなかったし、コミックビームといえばマンガ雑誌の中ではどちらかというと新参だったし、かなり、というかほとんど期待できなかった、僕としては。
だが、何かが気になっていたのだ。森薫の筆による、微妙に硬い線、登場人物の表情の無さ。もしかして、普通の人間って、この程度の表情の無さなんじゃないか?という気がする。その分、ナチュラルで現実的な表情の付け方と見えなくも無い。たぶん、これが森薫の筆致力の無さに過ぎないとしても。
単にラブ・ロマンスといえば少女漫画的手法と考えるべきところだが、コミックビームは少年誌。森薫は女性だが、読者対象は明らかに少年~青年だ。ストーリー展開はかつてなら少年誌では異質であると思われるほどに昼メロめいており、この業界と読者の世界の錯綜がさらに進んでいることを感じさせる。
「メイド」というキーワードひとつで考えてしまうともったいない。だが、明らかに一般的にはその括りの中でのみ評価されているに違いない。実際、作者本人のHPでも、作者が「メイド」というものに寄せる地道な信念(笑)のようなものは、必ずしもオタクたちが求める「メイド」とは一線を画していることが垣間見える。・・・まあ、たぶん(笑)。
僕はある種の衝撃を受けつつ、現在までの刊行分3巻と、森薫の同人誌時代のメイド物をまとめた「シャーリー」を購入した。少女漫画が衰退しつづける現在にあって、少女漫画的なものが少年誌から生まれ続けている現実を見て、なんとも中途半端なため息を、僕はつかざるを得ない。
[ 森薫自身のHP 伯爵夫人の昼食会 ]

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